枢密院書記官長 (カナダ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/02/16 23:47 UTC 版)
枢密書記官長 (すうみついんしょきかんちょう、英語:Clerk of the Privy Council、仏語:Greffier du Conseil privé)は、カナダ政府の上級官僚である。正式な呼称と地位は「枢密院書記官長および内閣書記官(Clerk of the Privy Council and the Secretary to the Cabinet)」である。書記官長は、首相の助言のもと、カナダにおける国王の代理である総督によって任命される。
枢密院書記官長は首相に対する次官として首相に公平な助言を与えるとともに、枢密院事務局を担当する。内閣書記官としては、枢密院書記官長は大臣に公平な助言を与え、内閣や委員会に与えられた助言や支援を監督する。官僚の首席として書記官長は、他の次官たちを監督し、政府全体に対して党派に偏らない立場から専門的な助言を与える責任をもっている[1]。
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枢密院書記官長の一覧

(左から)ノーマン・ロバートソン駐英高等弁務官、マッケンジー・キング首相、ブルック・クラックストン国防相、アーノルド・ヒーニー枢密院書記官長
(パリ講和会議、1946年)
- William Henry Lee (1867–1872)
- William Alfred Himsworth (1872–1880)
- Joseph Olivier Côté (1880–1882)
- John Joseph McGee (1882–1907)
- Rodolphe Boudreau (1907–1923)
- アーネスト・ジョセフ・ルメール (1923–1940)
- アーノルド・ヒーニー (1940–1949)
- ノーマン・ロバートソン (1949–1952)
- ジャック・ピッカースギル(1952–1953)
- ロバート・ブライス (1954–1963)
- Robert Gordon Robertson (1963–1975)
- Peter Michael Pitfield (1975–1979, 1980–1982)
- Marcel Massé (1979–1980)
- Gordon Osbaldeston (1982–1985)
- Paul M. Tellier (1985–1992)
- Glen Shortliffe (1992–1994)
- Jocelyne Bourgon (1994–1999)
- Mel Cappe (1999–2002)
- Alexander Himelfarb (2002–2006)
- Kevin G. Lynch (2006–2009)
- Wayne Wouters (2009- 現在)
脚注
- ^ “Privy Council Office”. The Canadian Encyclopedia. 2012年11月29日閲覧。
関連項目
外部リンク
- “Privy Council Office”. Privy Council Office. 2012年11月29日閲覧。(枢密院事務局公式サイト・英文)
- “Clerk of the Privy Council”. Clerk of the Privy Council. 2012年11月29日閲覧。(枢密院書記官長公式サイト・英文)
「枢密院書記官長 (カナダ)」の例文・使い方・用例・文例
- しかし,フリーでは2度転倒して2位に落ち,パトリック・チャン選手(カナダ)に敗れた。
- しかし,彼女は決勝でオードリー・ロビショー選手(カナダ)に敗れた。
- 男子デュアルモーグル種目では,パトリック・ディネン選手(米国)が決勝でミカエル・キングズベリー選手(カナダ)を破って優勝した。
- パトリック・チャン選手(カナダ)が優勝し,高橋大(だい)輔(すけ)選手が銀メダルを獲得した。
- 10月7日,錦(にし)織(こり)圭(けい)選手(22)が東京でのジャパン・オープン・テニスの決勝でミロシュ・ラオニッチ選手(カナダ)を破った。
- ハビエル・フェルナンデス選手(スペイン)が合計253.94点を獲得して男子種目で優勝し,パトリック・チャン選手(カナダ)が2位に入った。
- ケイトリン・オズモンド選手(カナダ)が合計176.45点を獲得して優勝した。
- 2月14日のフリーの前,羽生選手は2位のパトリック・チャン選手(カナダ)より4ポイント近く優位だった。
- 7月1日,第10シードの錦織選手は4回戦で第8シードのミロシュ・ラオニッチ選手(カナダ)と対戦した。
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