しらせ‐のぶ【白瀬矗】
白瀬矗 しらせ のぶ
秋田生まれ。探検家。陸軍軍人となるが、早くに予備役に入り、明治26年(1893)郡司成忠の千島探検に加わり、占守島で越冬。その後、北極点到達を目指すがアメリカ隊により達成されると、目標を南極点に変更した。大隈重信や新聞雑誌社の支援を得て、43年(1910)11月隊員26名と開南丸で品川を出発。大正元年(1912)1月南極に上陸し、南緯80度5分の地点まで到達、その地を大和雪原と命名した。
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
白瀬矗
白瀬矗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 05:13 UTC 版)
白瀬 矗(しらせ のぶ、1861年7月20日(文久元年6月13日[2])- 1946年(昭和21年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、南極探検家。最終階級は陸軍輜重兵中尉。幼名は知教(ちきょう)[3]。
注釈
- ^ 幸田露伴の兄である。
- ^ 当時は南極点を目指す探検隊が他にいないと思われ、スコットが最初に到達するものと考えられていた。
- ^ 「南極探検ニ要スル経費下付請願」。
- ^ 本名・俊蔵 。雑誌『成功』を刊行する「成功雑誌社」主幹[22]。
- ^ 後に、寄生虫症と判明した。
- ^ 野宿で過ごし住民の不安を招いたが、のちに解消した。
- ^ これは山辺安之助らアイヌ隊員によって事前に阻止された。
- ^ ちょうどこの翌日にロバート・スコットが南極点に到達した。
- ^ ロアール・アムンセン隊は白瀬隊が去ってからクジラ湾に到着したため、すれ違いとなっている。
- ^ 第二次世界大戦の敗戦時に領有主張は放棄した。
- ^ このため、参加していた樺太出身のアイヌの隊員2人(山辺安之助と花守信吉)は犬を大事にするアイヌの掟を破ったとして、帰郷後に民族裁判にかけられて有罪を宣告されたと伝えられる。
- ^ 南極地域観測隊第一次隊越冬隊長である西堀栄三郎は、京都南座で白瀬の南極講演を聴いて、南極探検を志すに至っている[32]。この時、西堀は白瀬が探検家を志した年齢と同じ11歳であった[32]。
- ^ 京子だけは、アルゼンチンのブエノスアイレスからマゼラン海峡を通航してチリのバルパライソまでの間はヨットに乗船せず、アンデス山脈を越えてバルパライソへ陸路を移動した。このため、正確には京子はヨット世界一周は達成していない。
出典
- ^ “白瀬南極探検隊長の墓”. 愛知県総合教育センター. 2021年12月19日閲覧。
- ^ a b c 井上 2012, p. 20.
- ^ a b c d e 綱淵 1990, p. 23.
- ^ “秋田)白瀬中尉の記録フィルム、鮮明に にかほで上映会 : 朝日新聞デジタル”. 朝日新聞 (2017年8月19日). 202 2-07-05閲覧。
- ^ a b “第52回白瀬中尉をしのぶ集い”. 秋田県観光総合ガイド あきたファンドッとコム. 秋田県. 2020年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月13日閲覧。
- ^ “『よみがえる白瀬中尉』(秋田魁新報社、1982年)検索結果”. 国立国会図書館. 2020年2月13日閲覧。
- ^ a b “白瀬中尉の業績たたえ行進 冒険家阿部さんも参加”. 秋田魁新報電子版. 秋田魁新報 (2020年1月28日). 2020年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月13日閲覧。
- ^ “天は正義に味方する、白瀬中尉の功績”. WEDGE Infinity. Wedge (2017年3月5日). 2020年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月16日閲覧。
- ^ 上別府保慶(西日本新聞 編集委員) (2019年5月9日). “白瀬矗中尉の借金苦”. 西日本新聞ニュース. 西日本新聞. 2020年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月8日閲覧。
- ^ a b 井上 2012, p. 26.
- ^ 井上 2012, pp. 104–106.
- ^ 井上 2012, p. 25.
- ^ a b c 井上 2012, p. 27.
- ^ a b c d e f g h i 秦 2005, p. 83.
- ^ a b c 井上 2012, p. 28.
- ^ 井上 2012, p. 29.
- ^ 井上 2012, p. 31.
- ^ a b 井上 2012, p. 32.
- ^ a b 井上 2012, p. 33.
- ^ a b c d e 井上 2012, p. 34.
- ^ 井上 2012, p. 36.
- ^ 『立身出世の社会史: サムライからサラリーマンへ』 E.H.キンモンス,玉川大学出版部, 1995
- ^ 白瀬武子「マ元帥と白瀬中尉」、『週刊朝日』昭和26年9月2日号より[要ページ番号]。
- ^ 白瀬中尉の南極探検 - NPO法人白瀬南極探検100周年記念会
- ^ 白瀬矗『南極探検』博文館、1913年1月22日、口絵頁。doi:10.11501/980822。NDLJP:980822。
- ^ 『山と溪谷』2018年3月号、山と溪谷社、 19頁。
- ^ “デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年5月21日閲覧。
- ^ 井上 2012, p. 82.
- ^ a b 井上 2012, p. 83.
- ^ a b c 佐藤 2004, p. 50.
- ^ 佐藤 2004, p. 51.
- ^ a b c 井上 2012, p. 84.
- ^ 2007年6月11日朝日新聞夕刊より[要ページ番号]。
- ^ 白瀬南極探検隊記念館公式ホームページ
- ^ a b c 佐藤 2004, p. 53.
- ^ a b 井上 2012, p. 90.
- ^ “U.S. Geological Survey Geographic Names Information System: Shirase Coast”. 2013年4月29日閲覧。
- ^ 毎日新聞・東京版(夕刊) 昭和45年(1970年)8月22日 1面『日本人ヨット、初の世界一周 : 女性含め三人、元気に』。
- ^ 毎日新聞・東京版(夕刊) 昭和45年(1970年)8月22日 11面『よくぞ冒険の血筋 : 「白鴎号」の白瀬京子さん』。
- ^ 毎日新聞・東京版(朝刊) 平成2年(1990年)4月14日 27面『訃報 : 白瀬京子さん(しらせ・きょうこ=白瀬南極探検隊記念館館長)』。
- ^ “秋田ふるさと村とは. キャラクター紹介”. 秋田ふるさと村。 2020年5月2日閲覧。
- ^ “世界有数の砕氷船「しらせ」”. 国立極地研究所. 2013年11月26日閲覧
- ^ “海上自衛隊の使用する船舶の区分等及び名称等を付与する標準を定める訓令 別表第2自衛艦の名称等を付与する標準”(PDF). 海上自衛隊 訓令第30号. 2013年11月26日閲覧
- ^ “今年で49回目! にかほ市・金浦地域の「白瀬中尉をしのぶ集い」”. あきた元気ムラ!秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト. 秋田県 (2016年2月9日). 2020年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月13日閲覧。
- ^ 『官報』第6729号「叙任及辞令」1905年12月4日。p119
白瀬矗と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 白瀬矗のページへのリンク