黒溝台会戦
黒溝台会戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:43 UTC 版)
「黒溝台会戦」を参照 1月25日、日本軍最左翼を守備していた第2軍所属の秋山支隊8,000(秋山好古少将指揮、騎兵第1旅団を中核とした歩・砲・工兵混成部隊)にロシア軍10万が攻撃を開始した。秋山支隊は右翼から李大人屯、韓山台、沈旦堡、黒溝台の4陣地を軸として頑強に抵抗し、満州軍総司令部は予備隊の第8師団を援軍として急派したが、第8師団司令部の敵情誤断により黒溝台陣地の放棄を強制され、しかも第8師団自体も26日に逆襲包囲されるという事態に陥った。第2軍は靡下の第3師団を派遣したが、満州軍総司令部の兵力逐次投入、急遽臨時軍(臨時立見軍:第8師団長・立見尚文中将が臨時司令官)編成という愚策に踊らされ、速やかな作戦行動ができなくなった。ようやく28日にいたり、第3師団と第5師団が秋山支隊右翼陣地のロシア軍を撃退した。黒溝台陣地も第8師団及び第5師団による大夜襲を決行し、ロシア軍は潰走した。
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