大島義昌とは? わかりやすく解説

大島義昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/20 16:58 UTC 版)

大島 義昌
生誕 1850年9月20日
江戸幕府 長州藩
死没 (1926-04-10) 1926年4月10日(75歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1871年 - 1920年
最終階級 陸軍大将
指揮 軍事参議官兼関東都督
第3師団
対馬警備隊司令官
歩兵第9旅団長
戦闘 西南戦争
東学党の乱
日清戦争
日清戦争
テンプレートを表示

大島 義昌(おおしま よしまさ、嘉永3年8月15日1850年9月20日) - 大正15年(1926年4月10日)は、日本陸軍軍人華族関東都督軍事参議官第3師団長等を歴任する。官位は陸軍大将正二位勲一等功二級子爵。第90・96~98代内閣総理大臣安倍晋三は玄孫にあたる(安倍の父方の祖母・本堂静子が大島の孫娘)。

経歴

大島義昌

現在の山口県長州藩士・大島慶三郎の長男として生まれる。戊辰戦争に従軍。

明治3年(1870年)4月に大坂青年学舎生徒となり、明治4年(1871年)8月、陸軍少尉心得に任官され、歩兵第4連隊付を命ぜられる。同年中に中尉心得・大尉と進み、明治6年(1873年)5月、歩兵第1連隊大隊長を経て明治10年(1877年)の西南戦争では陸軍少佐歩兵第8連隊第1大隊長として出征する。

戦後、中部監軍部参謀、仙台鎮台歩兵第5連隊長・同鎮台参謀長心得等の後明治19年(1886年)4月、陸軍大佐に進級する。明治20年(1887年)6月、東京鎮台参謀長に就任し、明治21年(1888年)5月に東京鎮台が第1師団に改編されるとそのまま第1師団参謀長に就任する。

明治24年(1891年)6月には陸軍少将に進み歩兵第9旅団長に任命される。明治27年(1894年)6月、東学党の乱が発端となる朝鮮出兵に派遣され、続く日清戦争では第1軍隷下に移り参戦する。この時の功により明治28年(1895年)8月、男爵を授けられ華族に列せられる。対馬警備隊司令官の後、明治31年(1898年)2月、陸軍中将に進み第3師団長に親補される。

第3師団長のとき日露戦争が起こり出征する。戦後、陸軍大将に進み新設の関東総督に就任する。明治40年(1907年)9月には子爵に陞爵し、明治44年(1911年)9月から軍事参議官を兼ねた。明治45年(1912年)4月に関東都督を福島安正と代わり、改めて軍事参議官を補される。同6月勲一等旭日桐花大綬章受章。大正4年(1915年)8月15日、後備役に編入され[1]、大正9年(1920年)4月、退役する。

栄典

位階
爵位
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1878年(明治11年)1月31日 勲四等旭日小綬章
1885年(明治18年)11月19日 勲三等旭日中綬章[11]
1889年(明治22年)11月29日 大日本帝国憲法発布記念章[12]
1895年(明治28年)5月23日 勲二等瑞宝章[13]
1895年(明治28年)8月20日 功三級金鵄勲章[9]
1895年(明治28年)8月20日 旭日重光章[9]
1895年(明治28年)11月18日 明治二十七八年従軍記章[14]
1903年(明治36年)5月16日 勲一等瑞宝章[15]
1906年(明治39年)4月1日 功二級金鵄勲章[16]
1906年(明治39年)4月1日 旭日大綬章[16]
1906年(明治39年)4月1日 明治三十七八年従軍記章[16]
1912年(明治45年)6月17日 勲一等旭日桐花大綬章[17]
1915年(大正4年)11月7日 金杯一組
1915年(大正4年)11月7日 大正三四年従軍記章[18]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章[19]

親族

その他

薩閥の上原勇作とは日清戦争で開戦時から死線を潜り抜けた仲であり、その後も良好な関係であった。上原と大島は「赤椀会」という大島旅団を中心とする第一軍OB会を主催していた。会員は1925年において長岡外史(元旅団参謀)など10名程であったという。日清戦争当時に士官に与えられた官給の食事用の赤椀を持ち寄り、それで食事をしながら当時の思い出話をしたという[20]

脚注

  1. ^ 『官報』第912号、大正4年8月16日。
  2. ^ 『官報』第909号「叙任」1886年7月13日。
  3. ^ 『官報』第2399号「叙任及辞令」1891年6月30日。
  4. ^ 『官報』第4113号「叙任及辞令」1897年3月23日。
  5. ^ 『官報』第5644号「叙任及辞令」1902年5月1日。
  6. ^ 『官報』第6729号「叙任及辞令」1905年12月4日
  7. ^ 『官報』第8251号「叙任及辞令」1910年12月21日。
  8. ^ 『官報』第2442号「叙任及辞令」1920年9月21日。
  9. ^ a b c 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
  10. ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
  11. ^ 『官報』第736号「賞勲叙任」1885年12月12日。
  12. ^ 『官報』第1933号「叙任及辞令」1889年12月6日。
  13. ^ 『官報』第3578号「叙任及辞令」1895年6月5日。
  14. ^ 『官報』第3900号・付録「辞令」1896年6月30日。
  15. ^ 『官報』第5960号「叙任及辞令」1903年5月18日。
  16. ^ a b c 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  17. ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日桐花大綬章受章者一覧
  18. ^ 『官報』第1187号「叙任及辞令」1916年7月15日。
  19. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  20. ^ 山浦貫一『政局を繞る人々』四海書房、1926年、73頁。 

関連項目

  • 安倍晋太郎(政治家)- 曾孫
  • 西村正雄 (銀行家)- 曾孫
  • 安倍晋三(政治家)- 玄孫
  • 二宮忠八 - 軍用機の開発を訴えた二宮に対し「本当に空を飛んだら聞いてもよい」という返答をしたため、軍は乗り気ではないと感じ退役した。
日本の爵位
先代
陞爵
子爵
大島(義昌)家初代
1907年 - 1926年
次代
大島陸太郎
先代
叙爵
男爵
大島(義昌)家初代
1895年 - 1907年
次代
陞爵



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大島義昌」の関連用語

大島義昌のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大島義昌のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大島義昌 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS