長與稱吉
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長與 稱吉(新字体:長与 称吉、ながよ しょうきち、慶応2年1月7日〈1866年2月21日〉 - 明治43年〈1910年〉9月5日)は、明治時代の医師。男爵。長與專齋の子。岳父に後藤象二郎。
- ^ a b c 森川潤「ドイツ医学の受容過程-ミュンヘン大学留学生を中心として」『教育学研究』第52巻第4号、日本教育学会、1985年、374-384頁、doi:10.11555/kyoiku1932.52.374、ISSN 0387-3161、NAID 130003563724。
- ^ 明治17年留学生のメンバーは森林太郎(鴎外)、片山国嘉、丹波敬三、長與稱吉、田中正平、宮崎道三郎、隈川宗雄、萩原三圭、穂積八束、飯盛挺造、の10名。鴎外がこの10名を「日東十客ノ歌」に書いている。
- ^ 明治期ドイツ留学生,橋本 春(Hashimoto Hasime) の生涯金田昌司、経済学論纂(中央大学)第52巻 4号、2012年3月22日
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)208頁
- 1 長與稱吉とは
- 2 長與稱吉の概要
長与称吉
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長与胃腸病院院長。10月11日に漱石は修善寺から同院に帰った。それで挨拶しようとしたら、すでに9月5日に死んでいた(2章)。
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