豊辺新作
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豊辺 新作(とよべ しんさく、1862年6月23日(文久2年5月26日[* 1]) - 1927年(昭和2年)3月22日)は、日本の陸軍軍人。日清戦争で鳳凰城攻略一番乗りを果たし、日露戦争では沈旦堡を死守した騎兵将校である。最終階級は陸軍中将。
- ^ 『人事興信録 第七版』では文久2年5月生まれ。『長岡藩名士小伝』では5月26日生まれであるが、年号が「文化」となっている。『日本騎兵八十年史』では1863年(文久3年)生まれとし、生年月日の記載はない。
- ^ 陸軍大学校教官の谷寿夫は、日本軍は「ロシア軍の確実なる地歩を占めつつ躍進する通則」への考慮に欠けていた旨を指摘している。(『機密日露戦史』525頁)
- ^ 『日本戦争兵器・人物事典』では「豊辺陣善」。
- ^ a b 『日露戦争兵器・人物事典』「豊辺新作」
- ^ a b c d e f g h i 『日本騎兵八十年史』「秋山好古と豊辺新作」
- ^ 『大山巌 3』247頁
- ^ a b c 『日露戦争 5』「黒溝台」
- ^ a b 『機密日露戦史』「黒溝台戦に於けるわが統帥の不覚」
- ^ a b c 『日露戦争 5』「沈旦堡の苦闘」
- ^ a b 『日露戦争 5』「黒溝台会戦終結」
- ^ a b 『日本騎兵八十年史』36頁
- ^ “Ref.A03023404400、「公文別録・親任官任免・明治二十二年-昭和二十二年・第三巻・明治四十三年-大正六年(国立公文書館)」 特ニ親任官ノ待遇ヲ賜フ 騎兵監陸軍中将 豊辺新作”. アジア歴史資料センター. 2013年8月2日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第七版』(大正14年7月発行)「豊辺新作」
- ^ “Ref.C07070849700、「明治27年「肆大日記 7月」(防衛省防衛研究所)」豊邊騎兵大尉結婚願の件”. アジア歴史資料センター. 2013年8月2日閲覧。
- ^ 秦郁彦編『日本陸海軍総合事』「主要陸海軍人の履歴 岸本鹿子治」
- ^ 『官報』第2558号「叙任及辞令」1892年1月13日。
- ^ 『官報』第150号「叙任及辞令」1913年1月31日。
- ^ 『官報』第3693号「叙任及辞令」1895年10月19日。
- ^ 『官報』第539号「叙任及辞令」1914年5月18日。
- ^ 『官報』第1194号「叙任及辞令」1916年7月24日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
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