長岡藩士・豊辺家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/19 10:10 UTC 版)
豊辺の父は越後長岡藩藩士豊辺陳善である。豊辺家は禄高八十石で、陳善は藩主側役の地位にあった。豊辺は上京後小林虎三郎家に寄宿している。豊辺は豊辺家の長男であり、弟は米国へ渡り農業に従事。姉は小西信八夫人である。妻は宮崎県高鍋在住の士族矢野氏の娘で、二男三女に恵まれた。次女は岸本鹿子治に嫁ぐ。岸本は魚雷の専門家で、酸素魚雷、甲標的の開発に功績を挙げるが、この甲標的は真珠湾攻撃に投入された。連合艦隊司令長官は長岡藩家老山本義路の家を継いだ山本五十六である。 豊辺の祖父である豊辺半蔵は河井家の出身で、半蔵の兄が四代目の河井代右衛門である。この代右衛門の子が長岡藩家老河井継之助であった。
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