蔚山沖海戦とは? わかりやすく解説

蔚山沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/25 13:01 UTC 版)

蔚山沖海戦(うるさんおきかいせん[# 1])は、日露戦争での日本海軍ロシア海軍との間の海戦である。英語では時に Battle of the Japanese Sea とも呼ばれるため日本海海戦(Battle of Tsushima)と混同しないよう注意が必要である。


注釈

  1. ^ 蔚山は慣例的に現地語に近い「うるさん」と読む[1][2]。ただし、一部の辞書では音読みで「いさん」と読むことを許容しており[3][4][5]、そう読ませる文献もある[6]。なお、中国語では蔚山をYushan[7](Yùshān)と読む。「蔚」の日本語音読みには「ウツ」と「イ」がある[8]が、中国語のyù(ユイ)に対応する音読みは「うつ」であり「い」ではない[9]ため、蔚山を「いさん」と読ませるのは誤り。

参照

  1. ^ 『大日本分県地図併地名総覧 昭和十二年』昭和礼文社1989年12月
  2. ^ 蔚山沖海戦を「うるさん」と読ませる文献の例『一億人の昭和史(毎日新聞社)』や『日本海軍史(財団法人 海軍歴史保存会)』『写真図説 帝国連合艦隊(講談社)』『日本の海軍(池田清)』『鹿児島大百科(南日本新聞社) ※上村彦之丞解説中』ノートより
  3. ^ 小学館 デジタル大辞泉 蔚山(ただし解説文は「うるさん」項目。解説文末尾で「いさん」読みを紹介)
  4. ^ 三省堂『大辞林』第一版1988年・第二版1995年・第三版2006年(ただし解説文は「うるさん」項目)
  5. ^ 三省堂『コンサイス外国地名事典 第3版』1998年(ただし解説文は「うるさん」項目)
  6. ^ 戸高一成『海戦からみた日露戦争』角川oneテーマ21新書、2010年、p108。「~韓国蔚山沖で未明の海上に灯火を発見、ついにロシア隊に遭遇した。」 に「いさん」のルビが振ってある。
  7. ^ J. Marshall Craig China, Korea & Japan at War, 1592–1598: Eyewitness Accounts
  8. ^ 日本漢字能力検定協会 漢字ペディア 「
  9. ^ 小学館 中日辞典 第3版「
  10. ^ a b c 日露海戦新史, p. 195.
  11. ^ a b 真鍋.日露旅順海戦史, p. 212.
  12. ^ 真鍋.日露旅順海戦史, p. 212-213.
  13. ^ 明治三十七八年海戦史
  14. ^ a b c 日露海戦新史, p. 198.
  15. ^ a b c 真鍋.日露旅順海戦史, p. 213.
  16. ^ 参戦二十提督 日露大海戦を語る
  17. ^ 佐藤鉄太郎が後年、座談会で語った事によると、出雲に搭乗していたカメラマンが追撃のさなか水平線上の敵艦三隻を写真に収める事に成功したが、後日現像してみると増速した出雲に引き離された3隻(吾妻常磐磐手)を敵艦と誤認したものであったという[16]
  18. ^ a b c d 真鍋.日露旅順海戦史, p. 214.
  19. ^ 日露海戦新史, p. 199.
  20. ^ 日露海戦新史, p. 199-200.
  21. ^ 真鍋.日露旅順海戦史, p. 214-216.
  22. ^ a b 日露海戦新史, p. 201.
  23. ^ a b 真鍋.日露旅順海戦史, p. 216.
  24. ^ 宝島社刊『別冊宝島 激闘!日露戦争』2003年12月 P53記述より
  25. ^ a b 真鍋.日露旅順海戦史, p. 218.
  26. ^ 真鍋.日露旅順海戦史, p. 217-218.
  27. ^ 真鍋.日露旅順海戦史, p. 219.
  28. ^ 真鍋.日露旅順海戦史, p. 220.
  29. ^ 真鍋.日露旅順海戦史, p. 221.
  30. ^ 塚原康子「日露戦争時の海軍軍楽隊 : 海軍軍楽長・吉本光蔵の明治37・38年日記から」『東京藝術大学音楽学部紀要』第40巻、東京藝術大学音楽学部、2014年、71-89頁、ISSN 0914-8787NAID 1200056251662023年1月30日閲覧 


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蔚山沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 17:30 UTC 版)

上村彦之丞」の記事における「蔚山沖海戦」の解説

蔚山沖海戦では、ウラジオストク艦隊撃滅寸前まで追い詰めながら、「我レ、残存弾数ナシと書かれた伝言黒板部下から手渡され攻撃終了した上村伝言板叩きつけ踏みつけたが、その形相周囲震えさせるものだった一方では、沈没瀕しながら最後まで砲撃続けていた巡洋艦リューリク乗員対し、「敵ながら天晴れな者である。生存者全員救助し丁重に扱うように」と命令し627名を救助した。この戦果救助活動伝えられる国民手の平を返すように上村称賛し、この時の状況歌った軍歌上村将軍』は長く日本海軍将兵愛唱されたが、上村自身はこの歌を嫌っていたとされている。 上村将軍(一部) 作詞佐々木信香 作曲佐藤茂蔚山沖の晴れて 勝ち誇りたる追撃艦隊勇み帰る身を沈め行くリューリック恨み深き敵なれど 捨てなば死せん彼等なり 英雄の腸ちぎれけん 救助と君は叫びけり 折しも起る軍楽響きと共に永久に 高きは君の功なり 匂うは君の誉れなり

※この「蔚山沖海戦」の解説は、「上村彦之丞」の解説の一部です。
「蔚山沖海戦」を含む「上村彦之丞」の記事については、「上村彦之丞」の概要を参照ください。

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