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飯田久恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/05 09:29 UTC 版)

飯田 いいだ 久恒 ひさつね
生誕 1869年11月13日
明治2年10月10日
死没 (1956-10-15) 1956年10月15日(86歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1892年 - 1934年
最終階級 海軍中将
墓所 青山霊園
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飯田 久恒(いいだ ひさつね、1869年11月13日明治2年10月10日) - 1956年昭和31年)10月15日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将

経歴

上野国吉井藩主の鷹司松平家吉井信謹子爵の、市谷加賀町邸時代に家扶を務めた士族飯田久徴[1]の長男として生まれる。攻玉社を経て、1892年7月、海軍兵学校19期)卒業。少尉候補生として「愛宕」に乗り組み日清戦争に出征した。1894年9月に海軍少尉任官。砲術練習所を卒業し、「鳥海分隊長、「扶桑」航海長、海軍教育本部第1部、第2艦隊参謀などを歴任。日露戦争では参謀として「磐手」乗り組みで出征した。その後負傷・後送された松村菊勇の補充として「三笠」へ移り、さらに小倉寛一郎の「三笠」着任に伴って軍令部に異動した谷口尚真の後任として「浪速」へ移り蔚山沖海戦に参加、そして小倉の負傷・後送により再び「三笠」に移り日本海海戦に参加、日本海海戦で戦傷を受けている。

日露戦争のため退学した海軍大学校に復校し、1906年7月、同校(将校科甲種4期)を卒業。軍令部参謀、イギリス駐在、「筑波」副長、軍令部参謀兼海大教官、兼参謀本部員、「新高艦長第3艦隊参謀長、「笠置」艦長、海大教頭、「吾妻」「薩摩」各艦長などを歴任。1917年12月、海軍少将に進級。さらに、イギリス大使館付武官、第4戦隊司令官などを経て、1921年12月、海軍中将となった。以後、第3戦隊司令官、馬公要港部司令官、将官会議議員を務め、1924年2月、予備役に編入され、1934年10月に退役した。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[2]

栄典

位階
勲章等

脚注

  1. ^ 華族諸家伝 中巻
  2. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」19頁。
  3. ^ 『官報』第3397号「叙任及辞令」1894年10月23日。
  4. ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
  5. ^ 『官報』第6109号「叙任及辞令」1903年11月11日。
  6. ^ 『官報』第3729号「叙任及辞令」1907年12月2日。
  7. ^ 『官報』第159号「叙任及辞令」1913年2月12日。
  8. ^ 『官報』第1647号「叙任及辞令」1918年1月31日。
  9. ^ 『官報』第2824号「叙任及辞令」1921年12月29日。
  10. ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
  11. ^ 『官報』第3889号・付録「辞令」1896年6月17日。p3
  12. ^ 『官報』第5226号「叙任及辞令」1900年12月1日。
  13. ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  14. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  15. ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。
  16. ^ 『官報』第7771号「叙任及辞令」1909年5月24日。
  17. ^ 『官報』第402号「叙任及辞令」1913年11月29日。
  18. ^ 『官報』第2431号「授爵・叙任及辞令」1920年9月8日。
  19. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。p11

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。



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