飯田久恒
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生誕 | 1869年11月13日 (明治2年10月10日) |
死没 | 1956年10月15日(86歳没) |
所属組織 | ![]() |
軍歴 | 1892年 - 1934年 |
最終階級 | ![]() |
墓所 | 青山霊園 |
飯田 久恒(いいだ ひさつね、1869年11月13日(明治2年10月10日) - 1956年(昭和31年)10月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
経歴
旧上野国吉井藩主の鷹司松平家・吉井信謹子爵の、市谷加賀町邸時代に家扶を務めた士族飯田久徴[1]の長男として生まれる。攻玉社を経て、1892年7月、海軍兵学校(19期)卒業。少尉候補生として「愛宕」に乗り組み日清戦争に出征した。1894年9月に海軍少尉任官。砲術練習所を卒業し、「鳥海」分隊長、「扶桑」航海長、海軍教育本部第1部、第2艦隊参謀などを歴任。日露戦争では参謀として「磐手」乗り組みで出征した。その後負傷・後送された松村菊勇の補充として「三笠」へ移り、さらに小倉寛一郎の「三笠」着任に伴って軍令部に異動した谷口尚真の後任として「浪速」へ移り蔚山沖海戦に参加、そして小倉の負傷・後送により再び「三笠」に移り日本海海戦に参加、日本海海戦で戦傷を受けている。
日露戦争のため退学した海軍大学校に復校し、1906年7月、同校(将校科甲種4期)を卒業。軍令部参謀、イギリス駐在、「筑波」副長、軍令部参謀兼海大教官、兼参謀本部員、「新高」艦長、第3艦隊参謀長、「笠置」艦長、海大教頭、「吾妻」「薩摩」各艦長などを歴任。1917年12月、海軍少将に進級。さらに、イギリス大使館付武官、第4戦隊司令官などを経て、1921年12月、海軍中将となった。以後、第3戦隊司令官、馬公要港部司令官、将官会議議員を務め、1924年2月、予備役に編入され、1934年10月に退役した。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[2]。
栄典
- 位階
- 1894年(明治27年)10月22日 - 正八位[3]
- 1898年(明治31年)3月8日 - 従七位[4]
- 1903年(明治36年)11月10日 - 従六位[5]
- 1907年(明治40年)11月30日 - 正六位[6]
- 1913年(大正2年)2月10日 - 従五位[7]
- 1918年(大正7年)1月30日 - 正五位[8]
- 1921年(大正10年)12月28日 - 従四位[9]
- 勲章等
- 1895年(明治28年)11月18日 - 勲六等単光旭日章[10]・明治二十七八年従軍記章[11]
- 1900年(明治33年)11月30日 - 勲五等瑞宝章[12]
- 1902年(明治35年)5月10日 - 明治三十三年従軍記章[13]
- 1905年(明治38年)5月30日 - 勲四等瑞宝章[14]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 功四級金鵄勲章・旭日小綬章・明治三十七八年従軍記章[15]
- 1909年(明治42年)4月18日 - 皇太子渡韓記念章[16]
- 1913年(大正2年)11月28日 - 勲三等瑞宝章[17]
- 1920年(大正9年)9月7日 - 旭日重光章[18]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[19]
脚注
- ^ 華族諸家伝 中巻
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」19頁。
- ^ 『官報』第3397号「叙任及辞令」1894年10月23日。
- ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
- ^ 『官報』第6109号「叙任及辞令」1903年11月11日。
- ^ 『官報』第3729号「叙任及辞令」1907年12月2日。
- ^ 『官報』第159号「叙任及辞令」1913年2月12日。
- ^ 『官報』第1647号「叙任及辞令」1918年1月31日。
- ^ 『官報』第2824号「叙任及辞令」1921年12月29日。
- ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
- ^ 『官報』第3889号・付録「辞令」1896年6月17日。p3
- ^ 『官報』第5226号「叙任及辞令」1900年12月1日。
- ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
- ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
- ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。
- ^ 『官報』第7771号「叙任及辞令」1909年5月24日。
- ^ 『官報』第402号「叙任及辞令」1913年11月29日。
- ^ 『官報』第2431号「授爵・叙任及辞令」1920年9月8日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。p11
参考文献
- 飯田久恒のページへのリンク