飯田事件とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 社会 > 社会一般 > 計画 > 飯田事件の意味・解説 

いいだ‐じけん〔いひだ‐〕【飯田事件】

読み方:いいだじけん

明治17年(1884)、愛知長野両県の自由民権派による政府転覆未遂事件秩父事件呼応して租税軽減徴兵令廃止などをスローガンに、飯田挙兵することを計画したが、事前に発覚した


飯田事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 07:44 UTC 版)

飯田事件(いいだじけん)は1884年に起こった激化事件の一つである。明治政府への挙兵が計画されていた。

概要

事件が起こったのは、1874年民撰議院設立建白書以来、自由民権運動に揺れる最中の1884年である。計画の発案者は、愛知県田原市で活動を行う「恒心社」の村松愛蔵名古屋鎮台の看護兵八木重治と、長野県飯田市自由党結社「愛国正理社」を主宰する桜井平吉である。

愛国正理社は、1882年に飯田で発刊された深山自由新聞(みやまじゆうしんぶん)の読者や支持者を中心に1883年に設立されたが、同年に政府が反政府的言論の撲滅を期して、新聞を日時を限った発行許可申請制度としたことにより、深山自由新聞は一方的に廃刊となった。愛国正理社の当初の顧問には石塚重平が名を連ねており、事件当時には松方デフレによる大不況で窮乏する養蚕地帯の自作農らが多く集まっていた。

恒心社と愛国正理社は1884年5月に連携を取るに至った。

事件の計画内容は、200人以上の血判加盟者を獲て、5万枚以上の檄文を用意した上で、名古屋鎮台兵が蜂起して火薬庫を爆破させ、名古屋監獄や飯田の警察署を地元愛知県や飯田市の民衆を扇動して占拠させ、自由革命を宣言するというものであった。しかし警察のスパイの密告もあり、秩父事件を受けて火薬狩りをしていた警察が、桜井宛の郵便物を調べて発覚した。

この事件は、1881年埼玉県秩父郡や桜井の出身地である佐久地方で起こった秩父事件を参考に、明治政府への反乱を企てたものであったが、同年11月9日に鎮圧以後、明治政府は政府転覆を理由に村松・八木・桜井などを27名を逮捕し、6名が内乱陰謀罪で軽禁錮1〜7年の有罪となった。

参考文献

関連項目




飯田事件と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「飯田事件」の関連用語

飯田事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



飯田事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの飯田事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS