飯田俊助とは? わかりやすく解説

飯田俊助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/15 03:41 UTC 版)

飯田 俊助
生誕 1846年9月30日
江戸幕府 長州藩(現・山口県
死没 (1914-03-23) 1914年3月23日(67歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1873 - 1906
最終階級 陸軍中将
指揮 第1師団
戦闘 西南戦争
日露戦争
*遼陽会戦
*沙河会戦
*奉天会戦
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飯田 俊助(いいだ としすけ、1846年9月30日弘化3年8月10日[1][2]) - 1914年大正3年)3月23日)は、日本陸軍軍人華族。最終階級は陸軍中将男爵

経歴

長門国厚狭郡宇部村(現・山口県宇部市)生まれ[1]長州藩家老福原家家臣・飯田直規(勘右衛門)の四男として生まれる[1][2]。幼名は益雄[1]。幼少期に両親を失う[1]豊後国広瀬青邨漢学を学ぶが、下関戦争の報を聞き直ちに帰国、福原越後に従って国事に奔走[1]。その後奇兵隊に入隊し第二次長州戦争戊辰戦争に従軍した[1][2]

1873年(明治6年)2月、歩兵少尉に任官[1]1874年(明治7年)9月、歩兵中尉となり、西南戦争では歩兵第2連隊第一中隊長として田原坂の戦いに参加した[3]1890年(明治23年)10月、歩兵中佐となり、第2師団参謀となる[4]1894年(明治27年)11月、歩兵第20連隊長となり、翌月、歩兵大佐に昇進。1896年(明治29年)10月、歩兵第15連隊長へ異動。

1898年(明治31年)10月、陸軍少将に進級し歩兵第11旅団長に就任。日露戦争に出征し、遼陽会戦沙河会戦に参加。1905年(明治38年)2月、陸軍中将に進み、戦病死した松村務本中将の後任として第1師団長に親補され、奉天会戦を戦った。1906年(明治39年)2月3日、後備役に編入[5]1909年(明治42年)4月1日に退役した[6]

1907年(明治40年)9月21日、日露戦争の功績により男爵の爵位を叙爵し華族となった。

栄典

勲章等

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 松本栄 編『干城偉績』1892年、34-35頁。
  2. ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成』上巻、83-84頁。
  3. ^ 松本栄 編『干城偉績』1892年、36-37頁。
  4. ^ 松本栄 編『干城偉績』1892年、38-39頁。
  5. ^ 『官報』第6777号、明治39年2月5日。
  6. ^ 『官報』第7766号、明治42年5月18日。
  7. ^ 『官報』第35号「叙任」1883年8月10日。
  8. ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
  9. ^ 『官報』第3467号「叙任及辞令」1895年1月22日。
  10. ^ 『官報』第4603号「敍任及辞令」1898年11月1日。
  11. ^ 『官報』第6147号「叙任及辞令」1903年12月26日。
  12. ^ 『官報』第6760号「叙任及辞令」1906年1月15日。
  13. ^ 『官報』第7193号「叙任及辞令」1907年6月22日。
  14. ^ 『官報』第1938号「叙任及辞令」1889年12月12日。
  15. ^ 『官報』第3131号「叙任及辞令」1893年12月5日。
  16. ^ 『官報』第4010号・付録「辞令」1896年11月9日。
  17. ^ 『官報』第5671号「叙任及辞令」1902年6月2日。
  18. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  19. ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
  20. ^ 飯田俊助『人事興信録』初版 [明治36(1903)年4月]
  21. ^ a b c 飯田精太郞『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  22. ^ 『現代防長人物誌』下、井関九郎、1917、p581

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
叙爵
男爵
飯田(俊助)家初代
1907年 - 1914年
次代
飯田精太郎




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