飯田九一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 飯田九一の意味・解説 

飯田九一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 02:01 UTC 版)

飯田 九一
いいだ くいち
生誕 1892年10月17日
神奈川県橘樹郡大綱村
死没 (1970-01-24) 1970年1月24日(77歳没)
国籍 日本
著名な実績 日本画俳句
運動・動向 香蘭会
受賞 第1回横浜文化賞
1952年
影響を受けた
芸術家
川合玉堂

飯田 九一(いいだ くいち[1]1892年10月17日 - 1970年1月24日[2] は、日本日本画家俳人[3]俳諧関係資料の収集家[4]

経歴

神奈川県橘樹郡大綱村(現在の横浜市港北区の一部)の江戸時代以来の素封家[1]、三男として生まれた[3]。父・快三は、大綱村長や神奈川県議会議員を務めた人物で、飯田家の家長の名である助太夫を第11代として襲名し、海山と号した有力者であった[5]

東京美術学校を卒業し、さらに川合玉堂の下で日本画を修行し、帝国美術院展覧会(帝展)などで作品を発表した[3]

後には俳画に取り組み、自ら主宰する「香蘭会」で指導にあたった[3][6]

1952年には第1回横浜文化賞の受賞者のひとりとなった[7]

飯田は、松尾芭蕉宝井其角与謝蕪村らの真筆など、多数の短冊・色紙などからなる俳諧関係の資料を収集したが、このコレクションは神奈川県の県史編集室に寄託され、その後、神奈川県立文化資料館、神奈川県立図書館が管理して現在に至っている[3]

親族

脚注

  1. ^ a b 港北区の歴史と文化(シリーズ わがまち港北) 第37回 港北の有名人は?”. 大倉精神文化研究所 (2002年). 2014年5月28日閲覧。
  2. ^ 横浜俳話会『横浜の俳人たち 戦前編』横浜市教育委員会、1974年、10頁。 
  3. ^ a b c d e “コラム・かながわ あの人・この人 飯田 九一(いいだ くいち 1892-1970)”. かながわ資料室ニュースレター (8). (2008年). http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/yokohama/materials/news_letter008_a.htm 2014年5月28日閲覧。  {{cite news}}: 不明な引数|1=が空白で指定されています。 (説明)
  4. ^ 神奈川県立図書館調査部地域資料課『飯田九一文庫目録』神奈川県立図書館、2010年。 
  5. ^ 飯田九一文庫の百人(あ-お)”. 神奈川県立図書館. 2014年5月28日閲覧。
  6. ^ 千草庵”. 千草庵. 2014年5月28日閲覧。
  7. ^ 横浜文化賞過去の受賞者一覧”. 横浜市. 2014年5月27日閲覧。
  8. ^ 神奈川県県民部県史編集室 1983, 46頁.
  9. ^ 神奈川県県民部県史編集室 1983, 47頁.

参考文献

  • 神奈川県県民部県史編集室 編『神奈川県史 別編1 人物』神奈川県、1983年。 

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「飯田九一」の関連用語

飯田九一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



飯田九一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの飯田九一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS