まるやま‐きょう〔‐ケウ〕【丸山教】
まるやまきょう 【丸山教】
丸山教
丸山教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 06:26 UTC 版)
幕末から明治にかけて、封建制の解体による大きな社会変革にともない、神道を基盤とした新宗教が全国各地で成立した。1875年(明治8年)、登戸村の伊藤六郎兵衛が興した丸山教もその流れの一つに位置づけられる。丸山教は富士信仰の一派から発展し、津久井街道を通って信者が登戸に集まるようになった。1880年(明治13年)には、多摩川の河原で祈る会が行われ、村人口が1000人強であった頃の登戸に7~8000人の信者が集まった。1884年から87年の松方デフレの時期、農民は非常に困窮し、丸山教の指導者の一人の西ケ谷平四郎は信者を広く獲得し、これらの信者が耕地を放棄したり、租税を収めないなどの騒ぎが大きくなった。自由民権運動の隆盛とちょうど時期と地域が重なっており、政府当局は両方が結びつくことを恐れていたため、丸山教本院は西ケ谷平四郎を追放、この騒動は落ち着いた。
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