神道系
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旧官幣大社樺太神社(主祭神:大国主神、大己貴命、少彦名命) - 当時の住所は「豊原市豊原町旭ヶ丘」。創立年月日と列格年月日および鎮座祭は1910年(明治43年)8月17日。例祭日は毎年8月23日。現在、当時の建造物は全て解体撤去されており、跡地には石段と湧き水小屋(木造建築)、および1963年に建てられたコンクリート製3階建て洋館(旧ソ連時代に建てられた共産党幹部専用迎賓館。ペレストロイカを機に市営ホテル「ゴールカ」となり、現在は会社事務所となっている)と、建造時期や建造目的がはっきりとしていない宝物殿風デザインのコンクリート製高床式建造物が残っている。内側の壁にロシア語の文章が刻印された大きな金属プレート(Google提供の当該画像)が掲げられている宝物殿風建造物の管理は事実上放棄状態に近く、内部は心無い落書きで荒らされている。他の詳細については、「ロケットニュース24による現況解説記事 」および「樺太(サハリン)の建築②豊原 - 地域のお宝さがし-58」内「■樺太神社跡■」」を参照の事。 旧樺太護国神社(主祭神:西久保豊一郎命(西久保豊一郎陸軍歩兵少佐)、他653柱) - 当時の住所は「豊原市大字南豊原字南3線16番地」。創立年月日は1935年(昭和10年)9月3日、創建年は1908年(大正4年)。例祭日は毎年7月7日。現在、ゴーリカヴァ通り沿い(栄光広場 - 勝利広場 間のほぼ中間)にある(1960年代に建設された)ユジノサハリンスク市立病院後庭に近接。建物は残っていないが、階段・基壇・土台は残っており、同病院正面右入り口に燈籠らしき(「奉納/佐々木時蔵/昭和十年」と彫られた)石台が残っている。前述病院建物の中で伝染病隔離病棟が最も近い事もあり、市民から忌避されてきた為、然程荒らされていない。立地場所(グーグルマップ) 旧県社豊原神社樺太招魂社(主祭神:天照皇大神、豊受大神、明治天皇、昭憲皇太后) - 当時の住所は「豊原市大字豊原字北2線東4番地ノ乙」。創建年月日は1908年(明治41年)7月11日、創立年月日は1910年(明治43年)8月31日、列格年月日は1928年(昭和3年)11月5日。例祭日は毎年6月16日。現在、神社跡地を偲ばせる形跡は(敷地を斜めに流れる小川「ロガトカ川(旧玉川)」支流を除き)地面に埋没した礎石および二本の樹木(松とマロニエ)以外、一切残っていない。戦後すぐにコンクリート製2階建ての保育園が建設・開園。2000年代前半頃に死体検死所となり、現在は文房具店「カーンツ・ビューラ(Канц-Бюро)」が立地している。グーグルストリートビュー画像 旧北辰神社(主祭神:北辰妙見尊星王(妙見菩薩)、天御中主大神(神仏習合の影響により)) - 当時の住所は「豊原郡豊原町大字北豊原字北2線西1番地」。創立年月日は1924年(大正13年)2月2日。例祭日は毎年6月25日。跡地には、正面玄関形状が赤い鳥居風(赤い東洋風屋根も装飾されている)のギェオーラク・ホテル(ロシア語表記「Геолог Гостиница」)が立地している。実際に鳥居や石段を再利用したのかは不明。グーグルストリートビュー画像「北辰園」と呼ばれる公園施設も併設されていた。 旧追分神社(主祭神:天照皇大神、豊受大神、八幡大神、天御中主大神、西久保豊一郎命(西久保豊一郎陸軍歩兵少佐)、他18柱) - 当時の住所は「豊原市追分」。所在地は現在、ホールムスカエ・ショーッシェ(「ホルムスク(旧真岡)街道」のロシア語訳。ロシア語表記:Холмское Шоссе)北東側沿いに立地している(ロシア大手バス車両メーカーであるGAZ Group)ディーラー販売店「サーフ・スピェーツ・テーフ(ロシア語表記:Сах Спец Тех)」付近。グーグルストリートビュー画像、サーフ・スピェーツ・テーフ公式HP(ロシア語)、GAZ Group - 英語版Wikipedia 旧西久保神社(主祭神:西久保豊一郎命(西久保豊一郎陸軍歩兵少佐)、今村善男命、市原留吉命、久芳喜一命、林源三命、白山甚之助命、中島松五郎命、塚本紋太郎命、佐々木佐市命、小泉経松命、増田悦蔵命、門井政之助命、大貫鉄太郎命、小川佐治郎命、中村伊一命、中谷次郎市命、見波嘉一郎命、熊沢関蔵命、田代伊兵衛命) - 当時の住所は「豊原市西久保大字軍川字軍川」。所在地である旧軍川(いくさがわ)地区は現在、放射形状に再区画されダーチャ一大集積地区になっている。創立年月は1915年(大正4年)。例祭日は創立年と同年7月2日。日露戦争の英雄である西久保豊一郎少佐(西久保豊一郎)と他の18人の軍神が祀られた。西久保豊一郎少佐の兄で、当時、第13代北海道庁長官であった西久保弘道は、亡き弟の形見である軍刀を西久保神社に寄贈している。 旧王子稲荷神社(主祭神:宇迦之御魂神、宇気母智之神、和久産巣日神) - 王子製紙豊原工場敷地の南東方向に配置されていた社宅街敷地内の南東角辺り(同敷地南部を東西に横切るロガトカ川(旧玉川)河畔南側を北方向に、生地店「ドーム・トカーニ(「布織物の家」のロシア語訳。ロシア語表記:Дом Ткани)」および「Oooカンチーニェント(「Ooo大陸」のロシア語訳。ロシア語表記:Ооо Континент)」および弁護士事務所「アドヴォーカトュイ・マカーラヴァ・イ・ヴェルシーニン(ロシア語表記:Адвокаты Макарова и Вершинин」(旧山林社宅)を南方向に、そしてフィズクリトゥールナヤ通り(やや北東方向近隣に前述「複音の家パブテスト教会(ドーム・エヴァーンゲリヤ(Дом Евангелия))」が立地)を東方向として挟まれた中間位置辺りに設けられていた。Карафуто. Дзиндзя Ōji Inari - Retro photos(当時の画像および立地地図も閲覧可能。ロシア語)グーグルストリートビュー画像(旧社殿背面と思われる東方向より)グーグルストリートビュー画像(旧社殿正面と思われる西方向より) 旧清川神社(主祭神:市杵島姫命(イチキシマヒメ)) - 当時の住所は「豊原市大字清川字清川」。 旧大沢神社(主祭神:天照皇大神、大国主命、稲荷大神)- 当時の住所は「豊原市大字大沢字大沢」。 旧下並川神社(主祭神:少彦名命、天照皇大神、大国主命) - 当時の住所は「豊原市下並川」。 旧唐松神社(主祭神:天照皇大神) - 当時の住所は「豊原市大字唐松字唐松」。 旧竝川神社(主祭神:天照皇大神) - 当時の住所は「豊原郡豊原町竝川」。
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官幣大社樺太神社(主祭神:大国主神、大己貴命、少彦名命) - 当時の住所は「豊原市豊原町旭ヶ丘」。創立年月日と列格年月日および鎮座祭は1910年(明治43年)8月17日。例祭日は毎年8月23日。現在、当時の建造物は全て解体撤去されており、跡地には石段と湧き水小屋(木造建築)、1963年に建てられたコンクリート製3階建て洋館(旧ソ連時代に建てられた共産党幹部専用迎賓館。ペレストロイカを機に市営ホテル「ゴールカ」となり、現在は会社事務所となっている)と、建造時期や建造目的がはっきりとしていない宝物殿風デザインのコンクリート製高床式建造物が残っている。内側の壁にロシア語の文章が刻印された大きな金属プレート(Google提供の当該画像)が掲げられている宝物殿風建造物の管理は事実上放棄状態に近く、内部は心無い落書きで荒らされている。他の詳細については、「ロケットニュース24による現況解説記事 」および「樺太(サハリン)の建築②豊原 - 地域のお宝さがし-58」内「■樺太神社跡■」」を参照の事。 樺太護国神社(主祭神:西久保豊一郎命(西久保豊一郎陸軍歩兵少佐)、他653柱) - 当時の住所は「豊原市大字南豊原字南3線16番地」。創立年月日は1935年(昭和10年)9月3日、創建年は1908年(大正4年)。例祭日は毎年7月7日。現在、東14条通り(現ゴーリカヴァ通り)沿い(官幣大社樺太神社鳥居前広場および初代「豊原競馬場」跡地(現栄光広場) - 旭ヶ丘公園(現勝利広場) 間のほぼ中間)にある(1960年代に建設された)ユジノサハリンスク市立病院後庭に近接。建物は残っていないが、階段・基壇・土台は残っており、同病院正面右入り口に燈籠らしき(「奉納/佐々木時蔵/昭和十年」と彫られた)石台が残っている。前述病院建物の中で伝染病隔離病棟が最も近い事もあり、市民から忌避されてきた為、然程荒らされていない。立地場所(グーグルマップ) 県社豊原神社樺太招魂社(主祭神:天照皇大神、豊受大神、明治天皇、昭憲皇太后) - 当時の住所は「豊原市大字豊原字北2線東4番地ノ乙」。創建年月日は1908年(明治41年)7月11日、創立年月日は1910年(明治43年)8月31日、列格年月日は1928年(昭和3年)11月5日。例祭日は毎年6月16日。現在、神社跡地を偲ばせる形跡は(敷地を斜めに流れる小川「ローガトカ川(旧玉川)」支流を除き)地面に埋没した礎石および二本の樹木(松とマロニエ)以外、一切残っていない。戦後すぐにコンクリート製2階建ての保育園が建設・開園。2000年代前半頃に死体検死所となり、現在は文房具店「カーンツ・ビューラ(Канц-Бюро)」が立地している。グーグルストリートビュー画像 北辰神社(主祭神:北辰妙見尊星王(妙見菩薩)、天御中主大神(神仏習合の影響により)) - 当時の住所は「豊原郡豊原町大字北豊原字北2線西1番地」。創立年月日は1924年(大正13年)2月2日。例祭日は毎年6月25日。跡地には、正面玄関形状が赤い鳥居風(赤い東洋風屋根も装飾されている)のギェオーラク・ホテル(ロシア語表記「Геолог Гостиница」)が立地している。実際に鳥居や石段を再利用したのかは不明。グーグルストリートビュー画像「北辰園」と呼ばれる公園施設も併設されていた。 追分神社(主祭神:天照皇大神、豊受大神、八幡大神、天御中主大神、西久保豊一郎命(西久保豊一郎陸軍歩兵少佐)、他18柱) - 当時の住所は「豊原市追分」。所在地は現在、ホールムスカエ・ショーッシェ(「真岡(現ホルムスク)街道」のロシア語訳。ロシア語表記:Холмское Шоссе)北東側沿いに立地している(ロシア大手バス車両メーカーであるGAZグループ)ディーラー販売店「サーフ・スピェーツ・テーフ(ロシア語表記:Сах Спец Тех)」付近。グーグルストリートビュー画像、サーフ・スピェーツ・テーフ公式HP(ロシア語)、 GAZ Group - 英語版Wikipedia 西久保神社(主祭神:西久保豊一郎命(西久保豊一郎陸軍歩兵少佐)、今村善男命、市原留吉命、久芳喜一命、林源三命、白山甚之助命、中島松五郎命、塚本紋太郎命、佐々木佐市命、小泉経松命、増田悦蔵命、門井政之助命、大貫鉄太郎命、小川佐治郎命、中村伊一命、中谷次郎市命、見波嘉一郎命、熊沢関蔵命、田代伊兵衛命) - 当時の住所は「豊原市西久保大字軍川字軍川」。所在地であった軍川(いくさがわ)地区は現在、放射形状に再区画されダーチャ一大集積地区になっている。創立年月は1915年(大正4年)。例祭日は創立年と同年7月2日。日露戦争の英雄である西久保豊一郎少佐(西久保豊一郎)と他の18人の軍神が祀られた。西久保豊一郎少佐の兄で、当時、第13代北海道庁長官であった西久保弘道は、亡き弟の形見である軍刀を西久保神社に寄贈している。 王子稲荷神社(主祭神:宇迦之御魂神、宇気母智之神、和久産巣日神) - 王子製紙豊原工場敷地の南東方向(間に真岡通り(現サハリーンスカヤ通り)を挟んで樺太公立豊原第一国民学校の北方向向い)に配置されていた社宅街敷地内の南東角辺り(同敷地南部を東西に横切る玉川(現ローガトカ川)河畔南側を北方向に、山林社宅(現在、生地店「ドーム・トカーニ(「布織物の家」のロシア語訳。ロシア語表記:Дом Ткани)」および「Oooカンチーニェント(「Ooo大陸」のロシア語訳。ロシア語表記:Ооо Континент)」および弁護士事務所「アドヴォーカトュイ・マカーラヴァ・イ・ヴェルシーニン(ロシア語表記:Адвокаты Макарова и Вершинин」)を南方向に、現フィズクリトゥールナヤ通りを東方向として挟まれた中間位置辺り)に設けられていた。Карафуто. Дзиндзя Ōji Inari - Retro photos(当時の画像および立地地図も閲覧可能。ロシア語)グーグルストリートビュー画像(旧社殿背面と思われる東方向より)グーグルストリートビュー画像(旧社殿正面と思われる西方向より) 清川神社(主祭神:市杵島姫命(イチキシマヒメ)) - 当時の住所は「豊原市大字清川字清川」。 大沢神社(主祭神:天照皇大神、大国主命、稲荷大神)- 当時の住所は「豊原市大字大沢字大沢」。 下並川神社(主祭神:少彦名命、天照皇大神、大国主命) - 当時の住所は「豊原市下並川」。 唐松神社(主祭神:天照皇大神) - 当時の住所は「豊原市大字唐松字唐松」。 竝川神社(主祭神:天照皇大神) - 当時の住所は「豊原郡豊原町竝川」。
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神道系
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先述の通り神道系学校は制度上「宗教学校」とはみなされてはおらず、その点でここまで述べてきたようなキリスト教系・仏教系とは性格が異なる。 神宮皇學館(官立)(神道・1882年4月・皇學館大学(私立))内務省所轄学校として設立。 1903年8月:専門学校令に準拠。 1940年4月:大学令による神宮皇學館大学(官立・旧制)に昇格。 皇典講究所(神道・1882年8月・國學院大學)神道教導職により設立。 1890年7月:高崎正風により國學院に改組され設立。 1904年4月:専門学校令に準拠。 1906年9月:國學院大學と改称(専門学校令)。 1920年4月:大学令による國學院大學に昇格。
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