旧ソ連時代
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1935年にフランス・フランとリンクした。為替レートが貿易用と貿易外で別に設定された。11月、ルーブルの単位あたり金含有量は0.17685グラムとされ、相場が1ルーブルあたり3フランス・フランと決められた。しかし翌1936年10月にフランス・フランが切り下げられたので、1ルーブルあたり4.25フランス・フランに相場が変更され、ルーブルの単位あたり金含有量も0.17595グラムに改訂された。フランス・フランがどうしても安定しないので、1937年以降はUSドルにリンクした。1ドルあたり5.3ルーブルと定められ、またルーブルの単位あたり金含有量は0.16767グラムに引き下げられた。 ソ連は1947年12月に10分の1のデノミネーション(デノミ)を行った。西ドイツと違って、預金や国債等は優遇された。受益者の実質所得は上昇した。 ソ連国家労働貯蓄金庫の預金については三段階の優遇レートが適用された。一段目は3千ルーブルまでの等価交換を保障した。二段目は3千ルーブルから1万ルーブルをデノミするが、1/10ではなく2/3とした。三段目は1万ルーブルを超過した預金額をデノミするが、やはり1/10ではなく1/2とした。 共同組合・コルホーズ預金はデノミするが、1/10ではなく、4/5とした。 国営企業と官庁の記帳残高は等価交換された。旧残高はそのまま新残高となった。 国債は、その発行年度によりデノミ率を異にしたが、いずれにしても1/10ではなかった。1939-46年発行のものは額面3ルーブルにつき、1948年発行の新国債額面1ルーブルと交換された。1/3のデノミである。1938年以前発行のものは額面5ルーブルにつき、1947年発行の新国債額面1ルーブルと交換された。1/5のデノミである。外債も同様であったかは参考文献に書かれていなかった。 1950年3月1日に経済相互援助会議参加国域内でルーブル・リンクができた。ここでルーブルの価値は金0.222168グラムと決められ、参加国通貨との交換レートは各通貨の金純分に拠った。ルーブルの対西側レートは、ドルの金純分に拠って1ルーブル=0.25ドルとなった。1ドル=5.3ルーブルであった相場が、1ドル=4ルーブルとなったのである。 1961年にも10分の1デノミを行った。これは1947年のときのような例外措置がなかった。ルーブルあたりの金含有量は0.987412グラムとなり、相場が1ドル=0.9ルーブルとなった。このときに発行された紙幣の種類は100・50・25・10・5・3・1ソ連・ルーブル紙幣の7種類だった。しかし、100ルーブルと50ルーブルは市中ではあまり流通していなかった。 1971年のニクソン・ショックで、ルーブルはUSドルと金リンクしなくなった。VTBが変動為替相場制に対応した。 ソ連末期のペレストロイカに伴うインフレーション(インフレ)により、ソビエト連邦の崩壊直前の1991年には1,000・500・200・100・50ルーブル紙幣が新しく発行されるとともに、10・5・1ソ連・ルーブル紙幣が改刷された。この改刷は、色が増える等の偽造防止策が追加された程度で、大きなデザインの変更はなかった。なお、ソ連時代の紙幣の肖像画は10ルーブル以上にはレーニンが描かれており、5ルーブル以下には肖像画はなかった。また、1961年シリーズの紙幣の裏側にはロシア語で大きく「・・ルーブル」と記されてある下に、ロシア以外のソ連構成共和国14ヶ国の言語でも「・・ルーブル」と記されているのが特徴であったが、1991年シリーズでは初期発行分を除き省略された。この各国語の表記は、通貨単位の「ルーブル」まで各国語に「翻訳」されており、ウクライナ語では「カルボーヴァネツィ」、ウズベク語では「スム」などと表記されていた。 ソ連時代は硬貨は非常に種類が多く、記念硬貨を除いても1ルーブル・50・20・15・10・5・3・2・1カペイカの合計9種類が発行されていた。1カペイカ硬貨は非常に小さく、直径15mmしかなかった。
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