二一
二一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 01:33 UTC 版)
道は天地自然の道なるゆゑ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己(こつき)を以て終始せよ。己れに克(か)つの極功(きよくごう)は「毋意毋必毋固毋我(いなしひつなしこなしがなし)」と云へり。総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。能(よ)く古今の人物を見よ。事業を創起する人其の事大抵十に七八迄は能く成し得れども、残り二つを終り迄成し得る人の希(ま)れなるは、始は能く己れを慎み事をも敬する故、功も立ち名も顕(あら)はるるなり。功立ち名顕はるるに随ひ、いつしか自ら愛する心起り、恐懼(きようく)戒慎の意弛(ゆる)み、驕矜(きようきよう)の気漸(ようや)く長じ、其の成し得たる事業を負(たの)み、苟(いやしく)も我が事を仕遂(とげ)んとてまづき仕事に陥いり、終(つい)に敗るるものにて、皆な自ら招く也。故に己れに克ちて、睹(み)ず聞かざる所に戒慎するもの也。
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