南洲翁遺訓
南洲翁遺訓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 01:07 UTC 版)
「酒井忠篤 (庄内藩主)」の記事における「南洲翁遺訓」の解説
忠篤と旧庄内藩士七十余名は、明治3年(1870年)に薩摩を訪ね西郷に学んだ。これは戊辰戦争における庄内藩への寛大な処置に対する感謝と、西郷の思想に強く共鳴するものがあったからである。明治22年(1889年)、西郷が大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって赦されると、三矢藤太郎を中心とする旧庄内藩士らによって西郷の教えが纏められ、翌明治23年(1890年)に『南洲翁遺訓』として発刊された。
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