しょうぎ‐たい〔シヤウギ‐〕【彰義隊】
彰義隊
彰義隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 14:09 UTC 版)
忠宣は慶応4年(1868年)2月20日、駿府町奉行を旧幕府より罷免された後、彰義隊に加わる。江戸の警備を担っていたものの賊軍とされ上野の寛永寺に立てこもり官軍と戦う。 上野戦争の終盤、根本中堂前の最後の決戦時に忠宣は残り100名の彰義隊を引き連れ、東照宮の旗を持ち官軍に立ちはだかるも、忠宣は額に砲弾を受け倒れる。 これを見て残った彰義隊は3人(天野八郎、新井鐐太郎、紀伊守家来の常助)だったという。
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