彰考館総裁とは? わかりやすく解説

彰考館総裁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 08:00 UTC 版)

彰考館」の記事における「彰考館総裁」の解説

彰考館館員のなかで最高の地位総裁である。創設当初はなく、天和3年(1683)に初め置かれた。最初総裁人見懋斎である。その後館員増加とともに元禄年間には複数となり、享保のはじめまでは4・5人の定員保った。しかし、その後彰考館縮小とともに不定となり、1人置かれないこともあった。総裁任命制であり、学才のみで選ばれたわけではなかったが、いずれも当時水戸藩代表する学者であった石高200石または300石。格式として大番役または小納戸役の職に相当していた(藩士の中では中士程度)。初期のころは他藩からの招聘者が多く光圀時代総裁では安積澹泊唯一の水戸藩出身者である。江戸後期になると招聘者は減り2代3代わたって史館員を務めた者もいたが、実力によって士分取り立てになり総裁まで昇進した藤田幽谷水戸城下の古着商の子)や豊田松岡天功)(久慈郡庄屋の子)のように、一代出世した例もある。 人見懋斎 天和3年元禄1年 吉弘元禄1年元禄4年 佐々十竹(宗淳) 元禄1年元禄9年 中村篁渓 元禄4年正徳2年 鵜飼錬斎 元禄5年元禄6年 安積澹泊 元禄6年正徳4年 大串元禄9年元禄9年 栗山潜鋒 元禄10年宝永3年 酒泉竹軒 元禄12年享保3年 大井宝永4年享保14年 三宅観瀾 宝永7年正徳1年 佐治竹暉 正徳1年享保3年 神代正徳4年享保13年 小池享保4年享保10年 中島通享保11年享保14年 打越撲斎 享保12年元文5年 依田 享保14年延享1年 増子滄洲 元文5年寛延1年 河合元文5年宝暦5年 徳田錦江 寛保2年宝暦7年明和3年明和8年 名越南渓 延享2年安永4年 鈴木白泉 宝暦8年寛政5年 富田長洲 明和1年寛政3年 野口甘谷 安永5年安永7年 大場南湖 安永7年天明4年 立原翠軒 天明6年享和3年 渡辺為春 文化3年文化4年 高橋坦室 文化4年文政3年 藤田幽谷 文化4年文政9年 川口緑野 文化12年文政5年文政10年天保1年 青山拙斉(延于) 文政6年天保1年 会沢正志斎 天保2年天保10年 杉山復堂 天保14年弘化2年 豊田松岡天功安政3年元治1年 青山佩弦(延光元治1年慶応1年

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