高橋坦室とは? わかりやすく解説

高橋坦室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 08:33 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

高橋 坦室(たかはし たんしつ、明和8年(1771年) - 文政6年5月21日1823年6月29日))は、水戸藩儒学者彰考館総裁。名は広備、字は子大、通称は又一郎。坦室は号。

生涯

長久保赤水に学び、文に優れ、藤田幽谷とともに両才子と称せられた。天明6年(1786年)から彰考館に勤め、『大日本史』の編纂に努めた。享和3年(1803年)には論賛刪除の議を起こして立原翠軒らと対立した。同年、紀伝再訂頭取となり、文化4年(1807年)に彰考館総裁となった。翌文化5年(1808年)、御用調役となって政務に参与したが、人の欠点・不正を面折することから人望を失い、不遇のうちに病没した。

大正7年(1918年)、正五位を追贈された[1]

著書

  • 『長久保赤水為学入門鈔』

脚注

  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.45

関連項目

参考文献

  • 茨城新聞社編 『茨城県大百科事典』 茨城新聞社、1981年、658頁。




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高橋坦室」の関連用語

高橋坦室のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高橋坦室のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高橋坦室 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS