彰徳苑とは? わかりやすく解説

彰徳苑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 08:44 UTC 版)

札幌護国神社」の記事における「彰徳苑」の解説

境内一角には、戦没者慰霊碑中心に数多くの碑が集められた「彰徳苑」がある。 屯田兵招魂碑 1878年明治11年7月西南戦争没した屯田兵のために建てられた物で、札幌市内現存する最古の碑と考えられる当初偕楽園にあった1907年明治40年12月日露戦争における札幌連隊区管内からの戦死者合祀し中島遊園地移転1933年昭和8年)、招魂社境内に再移転した忠魂碑 日露戦争戦死者のために建てられた。題字揮毫乃木希典頌徳碑 財団法人帝国在郷軍人会創立者である松本四郎顕彰した碑。当初旭ヶ丘にあったが、1960年昭和35年3月当社移設された。 松本称える正面碑文は、佐藤昌介の撰による。1967年昭和42年)、右側面に在郷軍人会遺族慰霊する文が刻字された。 尼港殉難碑 尼港事件犠牲者のための碑。1928年昭和3年10月旭ヶ丘建てられたが、1960年昭和35年3月5日当社移設された。 ノモンハン英魂之碑 ノモンハン事件犠牲者のための碑。1967年昭和42年9月16日建立1987年昭和62年)にはアフリカ黒御影石製由来碑が添えられた。 アッツ島玉砕 雄魂之碑 アッツ島の戦いでの犠牲者のための碑。1968年昭和43年7月29日建立。幅7メートル台座の上に、32トン神居古潭石製の碑が載るメレヨン島戦没者慰霊碑 ウォレアイ環礁での犠牲者のための碑。1971年昭和46年10月建立黒御影石製で、題字堂垣内尚弘よる。後方には戦没者氏名碑が立つ。 北千島慰霊碑 北千島での犠牲者のための碑。1975年昭和50年8月23日建立日高産碑原石製で、題字堂垣内尚弘よる。 北海道全海軍 英魂の碑 北海道千島樺太にゆかりのあるすべての海軍関係者のための碑。1978年昭和53年8月20日建立重巡洋艦使われていた錨2基を配する「北鎮砲兵発祥の地」碑 1896年明治29年12月結成され独立野戦砲大隊記念する碑。1985年昭和60年6月23日建立アフリカ黒御影石製で、題字板垣武四よる。 旭川第七連隊砲兵哨舎 「北鎮砲兵発祥の地」碑建立数年前自衛隊運んできたもの。 歩兵第26連隊軍旗奉焼の碑 歩兵第26連隊解散に伴い月寒神社行われた軍旗奉焼を記念する碑。1986年昭和61年9月14日建立。白御影石製で、沿革碑が添えられている。

※この「彰徳苑」の解説は、「札幌護国神社」の解説の一部です。
「彰徳苑」を含む「札幌護国神社」の記事については、「札幌護国神社」の概要を参照ください。

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