山岡鉄舟とは?

やまおかてっしゅう やまをかてつしう山岡鉄舟 ○


山岡鉄舟

作者五味康祐

収載図書国戸団左衛門の切腹
出版社勁文社
刊行年月1987.8
シリーズ名ケイブンシャ文庫

収載図書時代小説大全集 4 人物日本史 江戸
出版社新潮社
刊行年月1990.9
シリーズ名新潮文庫

収載図書剣狼幕末駆け七人兵法者
出版社新潮社
刊行年月2007.6
シリーズ名新潮文庫


山岡鉄舟

作者戸部新十郎

収載図書日本剣豪維新
出版社毎日新聞社
刊行年月1992.12


山岡鉄舟

作者豊田穣

収載図書日本剣豪列伝 3
出版社福武書店
刊行年月1995.3
シリーズ名福武文庫

収載図書人物日本剣豪伝 5
出版社学陽書房
刊行年月2001.7
シリーズ名人物文庫


山岡鉄舟

作者海音寺潮五郎

収載図書幕末動乱男たち改版
出版社新潮社
刊行年月2008.4
シリーズ名新潮文庫


山岡鉄舟

作者中山義秀

収載図書新剣豪伝 改版
出版社新潮社
刊行年月2008.4
シリーズ名新潮文庫


山岡鉄舟―生死一如

作者津本陽

収載図書幕末悲風録―津本陽武芸小説集 3
出版社PHP研究所
刊行年月2007.11


山岡鉄舟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/30 00:21 UTC 版)

山岡 鉄舟(鐵舟、やまおか てっしゅう、天保7年6月10日1836年7月23日)- 明治21年(1888年7月19日)は、幕末から明治時代の幕臣政治家、思想家。の達人としても知られる。




注釈

  1. ^ 自得院流(忍心流)槍術の勘違いと思われる。泉秀樹『幕末維新なるほど人物事典: 100人のエピソードで激動の時代がよくわかる』(2003年 PHP文庫 ISBN 978-4-569-66020-2)63項 に見られるが、この書籍は全体に典拠を示さない読み物なので信頼性は低い。
  2. ^ きろこむら、現埼玉県比企郡小川町木呂子。
  3. ^ 小野高福(たかよし 1821 - 1852年)通称朝右衛門(ちょうえもん)は、飛騨郡代(21代 1845 - 1852年[1])、禄六百石の旗本だった。
  4. ^ Web 検索すると五男説が散見されるが、勝部真長『山岡鉄舟の武士道』1999年 角川ソフィア文庫 p.20(初出は1971年『武士道―文武両道の思想』角川選書、未確認) に五男とあるのが誤転載の源流と思われる。
  5. ^ 久須美閑適斎は、順三郎祐義といい旗本の次男で、生涯本所大川端の生家に居住し仕官しなかったという。
  6. ^ 山岡静山 やまおかせいざん 1829 - 1855年、名は正視 まさみ、字は子厳、通称は紀一郎。幕臣、高橋泥舟の兄。槍術家として著名。
  7. ^ 「精鋭隊」は徳川慶喜大阪城から逃げ帰った後、その身辺警護のために勝海舟らが旗本の子弟から手練れの剣士70余人を抜擢・組織した護衛隊である。
  8. ^ 後日、鉄舟は大総督府の参謀から呼び出された。鉄舟が出頭すると、村田新八が出てきて言った。「先日、官軍の陣営を、あなたは勝手に通って行った。その旨を先鋒隊から知らせてきたので、私と中村半次郎(桐野利秋)とで、あなたを後から追いかけ、斬り殺そうとした。しかしあなたが早くも西郷のところに到着して面会してしまったので、斬りそこねた。あまりにくやしいので、呼び出して、このことを伝えたかっただけだ。他に御用のおもむきはない」。鉄舟は「それはそうだろう。わたしは江戸っ子だ。足は当然速い。貴君らは田舎者でのろま男だから、わたしの足の速さにはとても及ぶまい」と言い、ともに大笑いして別かれた、という[3]
  9. ^ 宮内省辞職後、鉄舟の住居(旧四谷区仲町三丁目三一番地、現在の新宿区若葉一丁目・学習院初等科付近)の裏手の道場に「春風館」と命名し開いた。
  10. ^ 釈宗活(しゃくそうかつ、1871 - 1954年)は臨済宗の僧侶。俗姓は入沢。別号に輟翁、両忘庵。
  11. ^ 立田英山(たつたえいざん、1893 - 1979年)、耕雲庵を号す。1949年、宗教法人「両忘禅協会」を改組し宗教法人「人間禅教団」設立、初代総裁に就任。
  12. ^ 鉄舟は亡くなる前年の明治20年から健康がすぐれず、勧告に従い「絶筆」と称して揮毫を断るようになったが、ただ全生庵を通して申し込まれる分については例外として引き受けた[6]。しかし、その「例外」分の揮毫だけでも8ヶ月間に10万1380枚という厖大な数にのぼった(受取書が残っている)。またその翌年の2月から7月まで、すなわち亡くなる直前まで、布団の上で剣術道場の建設のために扇子4万本の揮毫をした。鉄舟は、人が揮毫の謝礼を差し出すと「ありがとう」と言って快く受け取り、それをそのまま本箱に突っ込んでおいた。そして貧乏で困窮した者が助けを求めてくると、本箱から惜しげもなくお金を取り出して与えた。しばしばそういう場面を目撃した千葉立造が「先生は御揮毫の謝礼は全部人におやりになるのですか」と訊くと、鉄舟は「わたしはそもそも字を書いて礼をもらうつもりはないが、困った者にやりたく思って、くれればもらっているだけさ」と答えた。こんな具合だったので、鉄舟はずっと貧乏であった。なお千葉立造(ちばりつぞう、1844 - 1926年)は、鉄舟の侍医。立造は通称で名は顕親、愛石(あいせき)と号した。自伝として、千葉立造が口述し三男千葉真一が編纂・出版した『愛石小傳』 1917年 がある。
  13. ^ 神渡良平 かみわたりりょうへい 1948年 鹿児島県生まれ。九州大学医学部中退、雑誌記者などを経て文筆活動に。日本文藝家協会会員。
  14. ^ 圓山牧田 まるやまぼくでん 全生庵三世住職。
  15. ^ 本名 渡辺伊三郎 1865 - 1944年、新潟県の生まれ。
  16. ^ 鉄舟晩年の高弟である小倉鉄樹の口述を石津寛・牛山栄治が筆記・編纂したもの。この書籍の評価は、Anshin Anatoliy 『牛山英治が編纂した山岡鉄舟の伝記について』(千葉大学日本文化論叢 2007年7月1日 no.8 page.1-11)) が参考になる。
  17. ^ 平井正修 ひらいしょうしゅう 1967年生まれ。2002年から臨済宗国泰寺派全生庵第七世住職。

出典

  1. ^ 『真宗山元派本山證誠寺史』p.81
  2. ^ 孫三, 佐倉『山岡鉄舟伝』普及舎、1893年5月16日、1頁。
  3. ^ 鉄舟自身が書いた記録「慶應戊辰三月駿府大総督府ニ於イテ西郷隆盛氏ト談判筆記」
  4. ^ 『官報』第1169号、明治20年5月25日。
  5. ^ 明治21年7月20日付「叙任及辞令」 国立国会図書館デジタル官報
  6. ^ 『最後のサムライ 山岡鐵舟』pp189-191
  7. ^ 栗原俊雄『勲章 知られざる素顔』(岩波新書、2011年 ISBN 978-4004313069 )、171頁。
  8. ^ 【ぐるっと首都圏 食べるつながる】埼玉・小川町/忠七めし「日本五大名飯」味わって『毎日新聞』2018年3月5日


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