山岡鉄舟に師事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 04:31 UTC 版)
岡田に敗れた佐三郎は、修行をやり直して復讐することを決意し、東京に出奔する。母ケイは呼び戻そうとしたが、祖父・佐吉郎は「剣道家になる者にその位の意気込みがなくてどうする」と捨て置いたという。東京に着いた佐三郎は四谷の柴田衛守を訪ね、荒稽古を求めた。柴田はそれならばと、山岡鉄舟の道場を勧め、防具を佐三郎に貸した。 佐三郎の遺稿によれば、山岡道場は稽古が荒いため普通の者はすぐにいなくなるが、佐三郎はただならぬ様相で稽古を続けたので、周囲は訝しがった。2か月ほど経った頃、鉄舟は佐三郎を昼食に誘い、次第によっては力添えをすると伝えた。佐三郎が涙ながらに経緯を明かすと、鉄舟は「もはや岡田とやらは君の敵ではあるまい。さっそく復讐して来い」と言ったという。 佐三郎は、負ければ死ぬ覚悟で岡田を訪ね、試合を申し込むと、岡田は平身低頭して詫び、丁重に試合を断ったという。埒が明かないため佐三郎は帰り、鉄舟に報告すると、鉄舟は「それは当然だ。やれば岡田は生命は無かったろう」と語ったといわれる。 鉄舟の師・浅利義明が佐三郎の祖父・佐吉郎と兄弟弟子でもあることから、佐三郎は鉄舟から一層気に入られ、その後も親交を深めたという。
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