山岡鉄舟と勝海舟とは? わかりやすく解説

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山岡鉄舟と勝海舟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:41 UTC 版)

臼井六郎」の記事における「山岡鉄舟と勝海舟」の解説

山岡鉄舟事件について、「自分は人を殺す方法教え剣客なので六郎にも人を殺す方法教えたが、法律犯してまで誰かれ殺せとは教えていない」と語ったという。 勝海舟舟の元に問い合わせの手紙を送るなど、六郎気に掛けている事を知った叔父の上野月下が、舟邸にお伺い立てたところ、舟は快く迎え懇切に談話をした。海舟が六郎を大変心配して同情寄せている事を語り月下に海舟からの書簡を読ませてくれた。その座で拝読し、むせび泣いた月下は、舟に「恐れ入りますが、この書簡を私にいただけないでしょうか。これを秋月臼井贈り家族一同に拝見させ高大ご恩報いる記念物として永く後世残したい思いますが」と懇願する舟は「いやいや、そんな書面世間漏れては、かえって勝の迷惑になる」と断った月下は海舟の手紙の大旨記憶留め手紙書き留めて秋月臼井家送った勝海舟より山岡鉄舟への書簡大旨。 「御門下臼井六郎復讐行ったことは、容易でない変わった出来事で、貴下さぞかし驚かれたことでしょう。しかし、六郎はかつて父母共に深夜惨殺されたことを歎き臥薪嘗胆ほとんど13年間艱嘗めつくし、終に法を犯し一命なげうってその復讐遂げしは、天の誠の道理なり、実に哀隣すべきことである。その点においていやしくも血気男児は、その同情寄せざるを得ないましてや近来人情浮薄に流れ、かつ青年書生などが志気腐敗匡済するの道においては六郎挙動もあるいはこれを医療する劇薬であろう思われる云々。」 明治14年9月26日 上野月下 臼井慕様

※この「山岡鉄舟と勝海舟」の解説は、「臼井六郎」の解説の一部です。
「山岡鉄舟と勝海舟」を含む「臼井六郎」の記事については、「臼井六郎」の概要を参照ください。

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