田中無事生とは? わかりやすく解説

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田中無事生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/20 05:06 UTC 版)

田中 無事生(たなか ぶじお、1885年明治18年)10月[1] - 没年不詳)は、日本の内務警察官僚。官選県知事福岡県若松市長

経歴

三重県出身。田中健造の長男として生まれる[1]。無事に育つようにと「無事生」と命名された[2]第七高等学校造士館を卒業[3]1910年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1911年内務省に入省し京都府属となる[1][3]

以後、京都府竹野郡長、同府南桑田郡長、滋賀県理事官徳島県警察部長、鳥取県書記官・内務部長、大分県書記官・内務部長、滋賀県書記官・内務部長、長野県書記官・内務部長などを歴任[1][4]。「万年内務部長」といわれた[2]

濱口内閣により1929年7月5日、高知県知事に登用された。交通関係の土木事業の実施に尽力。また、農民の県産米検査反対運動が激しいため、制度の撤回を決定した[4]1931年6月27日、茨城県知事に転任[5]。不況による県財政の悪化に伴い経費削減を実施。一方、必要不可欠な失業対策などの経費を増額し、繭検定所の新設、密漁船取締専用船の建造、茨城会館の建設を進めた[2]1931年12月18日に知事を休職[6]1932年1月29日、依願免本官となり退官した[7]

1934年5月5日、若松市長に就任し、市長を一期務めて1938年5月4日に退任[8]1939年7月、軍用保護馬鍛錬中央会常務理事に就任[9]。その後、理研葡萄酒 (株) 社長、日本馬事会監事を務めた[1]

脚注

  1. ^ a b c d e 『人事興信録』第14版 下、タ50頁。
  2. ^ a b c 『茨城県政と歴代知事 : 戦前45名の人物像』173-176頁。
  3. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』197頁。
  4. ^ a b 『日本の歴代知事』第3巻 上、543頁。
  5. ^ 『新編日本の歴代知事』250頁。
  6. ^ 『官報』第1493号、昭和6年12月19日。
  7. ^ 『官報』第1523号、昭和7年1月30日。
  8. ^ 『北九州市史 近代・現代 行政社会』1068頁。
  9. ^ 『人事興信録』第13版 下、タ50頁。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代知事』第3巻 上、歴代知事編纂会、1982年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 森田美比『茨城県政と歴代知事 : 戦前45名の人物像』暁印書館、1991年。
  • 北九州市史編さん委員会編『北九州市史 近代・現代 行政社会』北九州市、1987年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第13版 下、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。



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