柿沼竹雄とは? わかりやすく解説

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柿沼竹雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/14 07:51 UTC 版)

柿沼竹雄

柿沼 竹雄(かきぬま たけお、1868年 8月20日(慶応4年7月3日[1] - 1951年昭和26年)[2])は、日本の文部内務官僚。官選県知事

経歴

下野国都賀郡鹿沼町(現栃木県鹿沼市)出身[2]今宮神社社家・柿沼雅雄の長男として生まれる[1][2]。祖父、日光二荒山神社宮司・柿沼広身の薫陶を受けた。柿沼の教育のため一家で東京に移住[2]

第一高等学校を経て、1898年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。文部省に入省。1900年11月、文官高等試験行政科試験に合格した[3][4]

1901年4月、福島県視学官に就任。以後、徳島県視学官、同県事務官宮崎県事務官・第一部長兼第三部長[5]山梨県事務官・内務部長、岩手県内務部長などを歴任[1]

1916年10月、高知県知事に就任。県庁舎・県会議事堂の改築、水害対策などに尽力[6]1919年4月、岩手県知事に転任[3]1922年10月、知事を休職[7]1923年2月28日に依願免本官となり退官した[8]

その後、愛国婦人会事務局長、実践女学校専務顧問、済生会理事などを務めた[2][3]

栄典

著作

  • 『柿沼廣身略伝』柿沼菊雄発行・編集、1979年。※祖父の伝記。

脚注

  1. ^ a b c 『人事興信録』第5版、か133-134頁。
  2. ^ a b c d e 『栃木県歴史人物事典』179頁。
  3. ^ a b c 『新編日本の歴代知事』124頁。
  4. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』180頁。
  5. ^ 『官報』第6925号、明治39年7月30日。
  6. ^ 『新編日本の歴代知事』946頁。
  7. ^ 『官報』第3065号、大正11年10月18日。
  8. ^ 『官報』第3173号、大正12年3月1日。
  9. ^ 『官報』第124号「叙任及辞令」1912年12月27日。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社、1995年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第5版、1918年。



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