笠井信一とは? わかりやすく解説

笠井信一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/05 16:04 UTC 版)

笠井信一

笠井 信一(かさい しんいち、1864年7月22日元治元年6月19日) - 1929年7月25日)は、日本内務官僚政治家貴族院議員

経歴

静岡県出身。笠井勘三郎の三男として生まれる。静岡県立静岡中学校[1]第一高等学校を経て、1892年帝国大学法科大学を卒業した。

1893年2月、内務省に入り、内務属として警保局に配属された。その後、警保局監獄課長、山形県参事官岩手県警察部長、高知県書記官台湾総督府事務官、台南県書記官、岐阜県書記官、新潟県書記官、同県第一部長、熊本県第一部長などを歴任。

1907年1月、岩手県知事に就任。1913年3月、地元出身初の静岡県知事に就任。1914年6月、岡山県知事に転じた。1917年5月、後の民生委員制度の先駆となる済世顧問制度を制定した[2]1919年4月、北海道庁長官に就任。

1921年5月、貴族院勅選議員に任じられ、交友倶楽部に属し死去するまで在任した。

栄典

位階
勲章等

著作

  • 『済世顧問制度の精神』1928年[7]
  • 『笠井明府頌徳誌』1941年[8]
  • 『笠井信一集』全国民生委員児童委員協議会、1988年。

脚注

  1. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 43頁。
  2. ^ 山本浩史, 「創設期における済世顧問制度と済世顧問 : 笠井信一の思想を踏まえ」『社会福祉学』 53巻 1号 2012年 p.117-128, doi:10.24469/jssw.53.1_117
  3. ^ 『官報』第1397号「叙任及辞令」1917年3月31日。
  4. ^ 『官報』第8257号、「叙任及辞令」1910年12月28日。
  5. ^ 『官報』第1310号・付録、「辞令」1916年12月13日。
  6. ^ 『官報』第1620号、「叙任及辞令」1917年12月25日。
  7. ^ 日本人名大辞典+Plus, 新訂 政治家人名事典 明治~昭和,20世紀日本人名事典,デジタル版. “笠井信一(カサイ シンイチ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. DIGITALIO. 2025年2月5日閲覧。
  8. ^ 笠井明府頌徳誌 | NDLサーチ | 国立国会図書館”. 国立国会図書館サーチ(NDLサーチ). 2025年2月5日閲覧。

参考文献






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