北条元利とは? わかりやすく解説

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北条元利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 17:42 UTC 版)

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北条 元利(きたじょう もととし、1849年9月21日(嘉永2年8月5日[1] - 1905年明治38年)7月26日[2])は、幕末米沢藩士、明治期の裁判官検察官。官選岩手県知事。旧名・河村徳次[3]

経歴

出羽国置賜郡米沢館山口町(現:山形県米沢市)で米沢藩士・河村徳友の二男として生まれ、万延元年(1860年)北条家の養子となる[1]戊辰戦争では、振勇隊士官として板谷峠防禦陣地の構築に従事した[4]

明治4年(1871年)上京して築地の明治協會学院に入学しドイツ語を学ぶ。明治政府に出仕し、明治5年4月4日1872年5月10日)東京府権区長に就任。その後、警視庁で権中警部などを務めた[5]

1875年6月、司法省に転じ、長崎上等裁判所在勤となり、同年12月13日、四級判事補に任官。その後、京都裁判所在勤、梅津区裁判所長、小浜区裁判所長、大阪上等裁判所在勤などを歴任し、1881年3月8日、判事任官[6]

以後、金沢始審裁判所詰、新潟始審裁判所詰、根室始審裁判所長、根室重罪裁判所長、東京控訴院判事、水戸地方裁判所長などを歴任。1894年1月11日、検事に転じ、新潟地方裁判所検事正に就任した[7]

1900年4月27日、岩手県知事に就任。規則の整備、教育施設の整備、岩手県庁舎新築などに尽力[8]1904年11月17日、知事を休職となる[9]。1905年7月、病のため死去した[10]

栄典・受章・受賞

位階
勲章等

脚注

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出典

  1. ^ a b 『人事興信録』初版、187頁。
  2. ^ 『北条元利の生涯』818頁。死亡届は「7月27日」。
  3. ^ 『北条元利の生涯』794頁。
  4. ^ 『北条元利の生涯』796頁。
  5. ^ 『北条元利の生涯』798-799頁。
  6. ^ 『北条元利の生涯』800-803頁。
  7. ^ 『北条元利の生涯』804-810頁。
  8. ^ 『新編日本の歴代知事』122頁。
  9. ^ 『官報』第6417号、明治37年11月18日。
  10. ^ 『北条元利の生涯』819頁。
  11. ^ 『官報』第3199号「叙任及辞令」1894年3月1日。
  12. ^ 『官報』第3927号「叙任及辞令」1896年7月31日。
  13. ^ 『官報』第5106号「叙任及辞令」1900年7月11日。
  14. ^ 『官報』第6624号「叙任及辞令」1905年7月29日。
  15. ^ 『官報』第1943号「叙任及辞令」1889年12月18日。
  16. ^ 『官報』第5393号「叙任及辞令」1895年6月22日。
  17. ^ 『官報』第5243号「叙任及辞令」1900年12月21日。
  18. ^ 『官報』第6450号「叙任及辞令」1904年12月28日。
  19. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 北条元一『北条元利の生涯』北条元一、1970年。
  • 『人事興信録』初版、人事興信所、1903年。





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