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得能佳吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 15:17 UTC 版)

得能佳吉

得能 佳吉(とくのう かきち、1884年明治17年)4月3日[1] - 1964年昭和39年)6月19日[2])は、日本の内務官僚実業家。官選岩手県知事

経歴

富山県出身。得能通孝の六男として生まれる[3]第四高等学校を卒業。1909年東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し警視庁警部となる[4][5]

以後、岡山県試補、警視庁警視山形県警察部長、滋賀県警察部長、台湾総督府警視兼同府警察官及び司獄官練習所長、拓殖局書記官、内務書記官、北海道庁書記官・内務部長などを歴任[3]

1925年9月、岩手県知事に就任。公平無私な県政運営を行う。和賀妻堰・中央耕地の整備、公会堂建築、農学校移転などに尽力。1928年1月10日、農学校の敷地問題で知事を休職となる[4][6]。同年1月31日に退官した[5][7]

その後は実業界に転じ、臨港倉庫 (株) 代表取締役、横浜桟橋倉庫 (株) 専務取締役を務めた[3]。その他に東京植民貿易語学校校長、東京保善商業学校校長、東京保善工業学校校長も務めた[8]

脚注

  1. ^ 『帝国大学出身録』(帝国大学出身録編輯所、1922年)p.1043
  2. ^ 読売新聞』1964年6月20日朝刊、15面の訃報より。
  3. ^ a b c 『人事興信録』第11版 下、ト43頁。
  4. ^ a b 『新編日本の歴代知事』126頁。
  5. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』193頁。
  6. ^ 『官報』第308号、昭和3年1月11日。
  7. ^ 『官報』第326号、昭和3年2月1日。
  8. ^ 文化事績録 1934, p. 152.

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第11版 下、1937年。
  • 統計資料協会編『文化事績録 B巻』統計資料協会、1934年。 


その他の役職
先代
浜野虎吉
東京植民貿易語学校
東京保善商業学校
東京保善工業学校

1929年 - 1933年
次代
赤司鷹一郎



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