白男川譲介とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 白男川譲介の意味・解説 

白男川譲介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/28 06:15 UTC 版)

白男川譲介

白男川 譲介(しろおかわ[1] / しろおがわ[2] じょうすけ、1880年明治13年)1月19日[3] - 1951年昭和26年)[1])は、日本の内務警察官僚実業家。官選県知事鹿児島市長。旧姓・池田。

経歴

鹿児島県鹿児島市出身[4]。池田休兵衛の四男として生まれ、1885年、母方の白男川渉の養子となる[1][2]第三高等学校を卒業。1906年京都帝国大学法科大学政治学科を卒業し、大阪市に入る。1909年12月、文官高等試験に合格。内務省に転じ沖縄県属となる[5][6]

以後、福井県三方郡長、富山県警察部長、新潟県警察部長、北海道庁土木部長、奈良県内務部長、京都府内務部長などを歴任[5]

1921年5月、床次竹二郎内務大臣により起用され福井県知事に就任[1]1924年6月、静岡県知事に転任したが、加藤高明内閣の成立により、同年7月、知事を休職となる[7]1926年から1928年まで鹿児島市長を務めた。在任中、経営不振の鹿児島電気軌道会社を鹿児島市が買収して、市電を発足させた[4]

その後、薩摩興業社長、草津硫黄鉱業監査役を務めた[2]1951年病没[4]

栄典

脚注

  1. ^ a b c d 『福井県大百科事典』480頁。
  2. ^ a b c 『新編日本の歴代知事』475頁。
  3. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、437頁。
  4. ^ a b c 南日本新聞社 編『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年、101頁。
  5. ^ a b 『人事興信録』第8版、シ108頁。
  6. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』195頁。
  7. ^ 『新編日本の歴代知事』568頁。
  8. ^ 『官報』第2937号・付録「辞令」1922年5月19日。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『福井県大百科事典』福井新聞社、1991年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第8版、1928年。
公職
先代
上野篤
鹿児島市長
8代:1926 - 1928
次代
樺山可也



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「白男川譲介」の関連用語

白男川譲介のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



白男川譲介のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの白男川譲介 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS