川島純幹とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 川島純幹の意味・解説 

川島純幹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 14:10 UTC 版)

川島純幹

川島 純幹(かわしま すみもと / じゅんかん、1863年12月12日文久3年11月2日)- 1920年大正9年)10月25日)は、日本の教育者内務官僚師範学校長、県知事玄洋社社員[1]。旧名・甚太郎[1]


経歴

筑前国出身。川島計の長男として生まれる。1886年帝国大学法学部を卒業。1892年2月、鹿児島高等中学造士館教授に就任し、同年12月、同舎監を兼任。1893年8月、佐賀県尋常師範学校長となり、さらに奈良県尋常師範学校長を務めた。

1897年5月、内務省に転じ滋賀県参事官に就任。以後、三重県警察部長、佐賀県大分県千葉県鳥取県の各書記官和歌山県事務官・第一部長兼第三部長[2]などを歴任。

1907年1月、滋賀県知事に就任し、1912年12月に休職。1913年2月、鳥取県知事となり、1914年6月に休職。1917年1月、福井県知事に就任。1919年4月に退任した。

栄典

著書

  • 『衆議院議員選挙要論』敬業社、1889年。
  • 『米国史』博文館、1890年。
  • 『日本歴史講義 第1集』敬業社、1891年。

脚注

  1. ^ a b 石瀧豊美『玄洋社・封印された実像』海鳥社、2010年、玄洋社社員名簿31頁。
  2. ^ 『官報』第6925号、明治39年7月30日。
  3. ^ 『官報』第7499号「叙任及辞令」1908年6月26日。
  4. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。

参考文献

  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
公職
先代
正木直彦
校長事務取扱
奈良県尋常師範学校長
1896年 - 1897年
次代
沢幸次郎
先代
小宮山弘道
佐賀県尋常師範学校長
1893年 - 1896年
次代
久保田貞則



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「川島純幹」の関連用語

川島純幹のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



川島純幹のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの川島純幹 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS