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佐柳藤太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 08:26 UTC 版)

佐柳藤太

佐柳 藤太(さやなぎ とうた、1870年10月14日明治3年9月20日[1] - 1925年大正14年)2月24日)は、日本の内務官僚政治家。官選県知事熊本市長小樽市長。

経歴

讃岐国多度郡(後に仲多度郡豊原村、現:多度津町)で生まれる。第三高等学校を経て、1892年東京法学院(現:中央大学)を卒業。1894年弁護士試験に合格。1895年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1896年内務省に入り県治局属となる。

以後、新潟県内務部第一課長、山形県内務部長、福岡県事務官・内務部長などを歴任。

1912年12月、滋賀県知事に就任。1914年4月、千葉県知事に転じた。米作、教育、社会教育の振興に尽した。1917年1月、同県知事を辞し退官。その後、熊本市長、小樽市長を歴任。

脚注

  1. ^ 『人事興信録 5版』(人事興信所、1918年)さ31頁

参考文献

  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
公職
先代
依田昌兮
熊本市長
第6代:1917年 - 1921年
次代
高橋守雄



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