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依田昌兮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/09 22:16 UTC 版)

依田昌兮

依田 昌兮(よだ[1]/ゆだ[2] しょうけい[2]/まさや[2]/まさみ[3]文久元年7月13日[4]1861年8月23日) - 昭和3年(1928年9月4日)は、大日本帝国陸軍少将熊本市長

経歴

肥後国飽託郡本荘村(現在の熊本県熊本市)出身。1883年(明治16年)12月25日、陸軍士官学校(旧6期)を卒業し、同日、歩兵少尉に任官[4][5]1890年(明治23年)から1894年(明治27年)までの4年間ドイツに留学[4]し、帰国後、日清戦争に第2軍参謀として活動した。1901年(明治34年)オーストリア公使館付武官となり[4]、帰国後は鉄道線区司令官、1904年(明治37年)日露戦争が始まると歩兵第9連隊長を経て、遼東守備軍参謀となった。1906年(明治39年)歩兵大佐[4]1910年(明治43年)陸軍少将に進んだ[4]1913年大正2年)予備役となり[4]1915年大正4年)熊本市長に就任した[4]。在職中は熊本監獄移転問題や水道建設問題に苦慮した[4]1917年大正6年)熊本市長を退任した。1928年(昭和3年)死去。

栄典

位階
勲章

脚注

  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』801頁
  2. ^ a b c ウイーンフィルを聴いた最初の日本人は?
  3. ^ 陸士旧16期
  4. ^ a b c d e f g h i 『日本の歴代市長』第3巻、647頁。
  5. ^ 『官報』第151号、明治16年12月27日。
  6. ^ 『官報』第1820号「叙任及辞令」1889年7月24日。
  7. ^ 『官報』第6247号「叙任及辞令」904年4月30日。
  8. ^ 『官報』第7084号「叙任及辞令」1907年2月13日。
  9. ^ 『官報』第8290号「叙任及辞令」1911年2月13日。
  10. ^ 『官報』第5525号「叙任及辞令」1901年12月2日。
  11. ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  12. ^ 『官報』第6627号「叙任及辞令」1905年8月2日。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1983年
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年
公職
先代
山田珠一
熊本市長
第5代:1915年-1917年
次代
佐柳藤太



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