林田正治とは? わかりやすく解説

林田正治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/09 10:57 UTC 版)

林田 正治(はやしだ まさはる、1892年8月3日[1] - 1979年12月14日[2])は、日本内務官僚政治家

衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、熊本市長(16代)、新竹州知事。

経歴

熊本県下益城郡城南町(現熊本市南区)に生まれる。済々中学旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業し、1918年(大正7年)内務省に入省する。のち渡台し、1939年(昭和14年)新竹州知事を務める。

終戦後の1946年(昭和21年)第22回衆議院議員総選挙に熊本選挙区から日本進歩党より出馬し当選。1948年(昭和23年)熊本市助役を経て、1952年(昭和27年)第16代熊本市長に就任。1956年(昭和31年)第4回参議院議員通常選挙では熊本県選挙区から無所属で出馬し当選する。1960年(昭和35年)第2次池田内閣では北海道開発政務次官を務めた。

さらに1962年(昭和37年)第6回参議院議員通常選挙では自由民主党より出馬し当選。1965年(昭和40年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲三等からの昇叙)[3]。1974年(昭和49年)4月、日本赤十字社熊本県支部事業資金として100万円を寄付により1975年(昭和50年)3月29日、紺綬褒章受章[4]。1977年(昭和52年)城南町名誉町民に選ばれた。1979年(昭和54年)熊本県熊本市の病院にて死去[2]。死没日をもって従四位から正四位に叙され、銀杯一組を賜った[5]

脚注

  1. ^ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、32頁。
  2. ^ a b 朝日新聞』1979年12月15日 東京朝刊19頁
  3. ^ 『官報』第11670号15頁 昭和40年11月4日号
  4. ^ 『官報』第14477号13頁 昭和50年4月7日号
  5. ^ 『官報』第15879号7-8頁 昭和54年12月22日号
議会
先代
天坊裕彦
参議院地方行政委員長
1966年
次代
岸田幸雄
公職
先代
第15代:1948年 - 1952年
佐藤真佐男
熊本市長
第16代:1952年 - 1956年
次代
第17・18代:1956年 - 1963年
坂口主税




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「林田正治」の関連用語

林田正治のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



林田正治のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの林田正治 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS