大竹勇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 07:54 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動大竹 勇(おおたけ いさむ、1882年(明治15年)2月13日 - 1950年(昭和25年)2月25日[1])は、日本の裁判官、弁護士。台湾総督府官僚。
経歴
福島県大沼郡赤留村[1](赤沢村、会津高田町を経て、現在の会津美里町赤留)出身。1907年(明治42年)、東京帝国大学法科大学を卒業。司法官試補、新潟地方裁判所・新潟区裁判所検事、富山地方裁判所・富山区裁判所判事、名古屋区裁判所・名古屋地方裁判所判事を歴任。1916年(大正6年)、台湾総督府法院判官に転じ、台北地方法院判官、台中地方法院判官を務めた。1921年(大正10年)、台湾総督府税関監視官・税関事務官に転じ、台南州内務部長、台湾総督府税関長を経て、1929年(昭和4年)に澎湖庁長に就任した。
1931年(昭和6年)に退官後は台湾青果株式会社社長を務め、退任後は東京世田谷区[1]で弁護士を開業した。
脚注
出典
参考文献
- 「大竹勇ヲ同仁会本部ニ傭聘ノ件 昭和十二年九月」 アジア歴史資料センター Ref.B05015283200
- 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
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