西郷吉之助とは? わかりやすく解説

西郷吉之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/03 02:50 UTC 版)

西郷 吉之助
さいごうきちのすけ
参議院議員時代の西郷吉之助
生年月日 1906年7月20日
出生地 鹿児島県
没年月日 (1997-10-12) 1997年10月12日(91歳没)
死没地 東京都大田区
出身校 東北帝国大学経済学科卒業
(現東北大学
前職 南方開発金庫ジャワ支金庫業務課長
所属政党 無所属→)
自由党→)
自由民主党→)
(無所属→)
自由民主党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
侯爵
配偶者 西郷春子(先妻)
西郷寛子(後妻)
子女 長男・西郷吉太郎
親族 祖父・西郷隆盛(参議)
大叔父・西郷従道(内務大臣)
父・西郷寅太郎(貴族院議員)
伯父・西郷菊次郎(京都市長)
再従兄弟・岩倉具栄(貴族院議員)
第25代 法務大臣
内閣 第2次佐藤第2次改造内閣
在任期間 1968年11月30日 - 1970年1月14日
選挙区 鹿児島県選挙区
当選回数 4回
在任期間 1947年5月3日 - 1971年7月3日
選挙区 侯爵議員
在任期間 1936年7月19日[1] - 1947年5月2日
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西郷吉之助(1948年)

西郷 吉之助(さいごう きちのすけ、1906年明治39年〉7月20日 - 1997年平成9年〉10月12日)は、日本政治家華族位階正三位

法務大臣参議院議員貴族院議員侯爵西郷隆盛嫡男である西郷寅太郎の三男。

来歴・人物

鹿児島県で生まれ、東京で育つ[2]学習院を経て、東北帝国大学経済学科卒業[3]。学習院時代の同期には日中戦争で戦死した南郷茂章などがいた。祖父隆盛と同じく、堂々とした体躯で知られた。

興銀に入り、その後は南方開発金庫参事、ジャワ支金庫業務課長を経て、貴族院議員(1936年(昭和11年) - 1947年(昭和22年))、1947年鹿児島県選挙区より参議院議員に当選。以後当選4回。参議院議員時代は長らく、自由民主党に所属。

参院議員任期中の1951年(昭和26年)の行政書士法制定には反対した。

1954年(昭和29年)には、東京都港区に建立された『西郷南洲(隆盛)・勝海舟会見の地』記念碑の銘文を揮毫している。

1968年(昭和43年)11月発足の第2次佐藤第2次改造内閣法務大臣に就任する。大臣任期中の1969年(昭和44年)、かつてGHQ占領下で起訴された死刑囚再審を規定した再審特例法案が提出されて廃案になった際に、6件7人の死刑囚に対して恩赦の検討を表明し、結果3人が無期懲役への減刑がなされた。

この頃より手形を乱発して債務は当時で4億円近くまで膨らみ債権者が騒ぎ出したため、西郷はその頃えせ同和行為で羽振りの良かった尾崎清光と繋がり、私設秘書在日朝鮮人暴力団などを使って議員会館内で債権者に暴力や恐喝を行う事件を起こし[4]、その問題は国会でも追及され、西郷は自由民主党を離党している。

1971年の選挙では手形乱発事件の影響で無所属で出馬し落選、1974年の選挙も自由民主党から出馬したが落選し引退。

1986年春の叙勲で勲一等旭日大綬章受章(勲四等からの昇叙)[3][5]

1997年10月12日、心不全のため東京都大田区の自宅で死去、91歳[6]。死没日をもって従三位から正三位に叙される[7]

後にも西郷の秘書たちが、立場を利用して入港する船舶検査に手心を加えるよう各所に電話する日々であった、などと月刊誌『正論』にて証言したり、逮捕収監されていた暴力団員の刑の停止に力を貸していた、などの不義行為が曝露されている。

栄典

家族

脚注

  1. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、45頁。
  2. ^ 明治~昭和,世界大百科事典内言及, 新訂 政治家人名事典. “西郷吉之助(サイゴウ キチノスケ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2025年2月21日閲覧。
  3. ^ a b 西郷 吉之助」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E8%A5%BF%E9%83%B7%20%E5%90%89%E4%B9%8B%E5%8A%A9コトバンクより2022年12月31日閲覧 
  4. ^ 『噂の眞相』1984年4月号 竹田文昭「プロの殺し屋に射殺された"利権屋同和"尾崎清光の成金人生」
  5. ^ 『官報』号外第59号11頁 昭和61年4月30日号
  6. ^ “訃報”. 産経新聞. (1997年10月14日). オリジナルの2000年10月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20001026080019/http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9710/paper/1014/dead/dead11.htm 2022年12月31日閲覧。 
  7. ^ 『官報』第2253号6-7頁 平成9年10月30日号
  8. ^ 『官報』第2007号「叙任及辞令」1933年9月7日。
  9. ^ 『人事興信録. 第14版 上』1943年、西郷吉之助
  10. ^ 『人事興信録』 38版上、1995年、西郷吉之助

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

関連項目

公職
先代
赤間文三
法務大臣
第25代 : 1968年 - 1970年
次代
小林武治
議会
先代
館哲二
新谷寅三郎
参議院予算委員長
1955年 - 1956年
1968年
次代
苫米地義三
塩見俊二
先代
大矢半次郎
参議院大蔵委員長
1954年
次代
青木一男
先代
岡本愛祐
参議院地方行政委員長
1951年 - 1952年
次代
油井賢太郎
日本の爵位
先代
西郷隆輝
侯爵
西郷(隆盛)家第3代
1921年 - 1947年
次代
華族制度廃止

西郷吉之助(さいごう きちのすけ)

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新選組藤堂平助」の記事における「西郷吉之助(さいごう きちのすけ)」の解説

各藩動向注視する最大実力者一時遠島となっていたがやがて薩摩藩復帰皇家尽くすことを第一とし、私欲がない。

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