岩崎純三とは? わかりやすく解説

岩崎純三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/26 04:47 UTC 版)

岩崎純三
いわさき じゅんぞう
生年月日 1924年5月5日
出生地 栃木県
没年月日 (2004-07-10) 2004年7月10日(80歳没)
出身校 日本大学法文学部政治経済学科卒業
所属政党 自由民主党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章

第11代総務庁長官
内閣 宮澤内閣
在任期間 1991年11月5日 - 1992年12月12日

選挙区 栃木県選挙区
当選回数 4回
在任期間 1977年7月11日 - 2001年7月22日

真岡市長
当選回数 4回
在任期間 1962年5月10日 - 1977年5月14日
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岩崎 純三(岩﨑 純三[1]、いわさき じゅんぞう、1924年大正13年)5月5日[2] - 2004年平成16年)7月10日[2])は、日本の政治家。位階正三位、勲等は勲一等。栃木県真岡市長参議院議員自由民主党所属)、総務庁長官を歴任した。栃木県出身。日本大学法文学部政治経済学科卒業[3]

経歴

1951年、真岡町(現・真岡市)議会議員に当選[2]1958年第28回衆議院議員総選挙1960年第29回衆議院議員総選挙では栃木2区から自由民主党公認で立候補したが落選した[4]1962年に栃木県真岡市長に当選。当時、38歳の全国最年少市長だった[5]1977年まで4期15年務めた。その間、工業団地の造成、神戸製鋼の誘致などに努め、地元発展の基礎を作った。後、1977年第11回参議院議員通常選挙栃木県選挙区から自民党公認で立候補、この選挙は保守乱立となったが、自民党栃木県連会長の森山欽司が事務長、船田中が後援会長を務め、初当選を果たした[6]。その後連続当選4回。自民党内では三木武夫河本敏夫派に属した。1991年宮澤内閣総務庁長官として初入閣する。

2001年4月の春の叙勲勲一等に叙され、旭日大綬章を受章する[1]。同年の参院選には立候補せず、政界から引退した。

2004年7月10日、死去した。80歳没。死没日付をもって正三位に叙された[7]

脚注

  1. ^ a b 『官報』号外第87号26頁 平成13年5月1日
  2. ^ a b c 『新訂 現代政治家人名事典』69頁。
  3. ^ 桜門紳士録刊行会編『桜門紳士録』桜門紳士録刊行会 昭和57年6月10日 政界編97頁
  4. ^ 『朝日選挙大観』465頁。
  5. ^ 『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、613頁。
  6. ^ 森山欽司 ─反骨のヒューマニスト─ 第二十章” (PDF). 2007年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月17日閲覧。
  7. ^ 『官報』第3905号11頁 平成16年8月3日

参考文献

  • 桜門紳士録刊行会編『桜門紳士録』桜門紳士録刊行会 昭和57年6月10日
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
議会
先代
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参議院予算委員長
1997年 - 1998年
次代
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先代
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参議院社会労働委員長
1985年 - 1986年
次代
佐々木満
公職
先代
佐々木満
総務庁長官
第11代:1991年 - 1992年
次代
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先代
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真岡市長
第2代:1962年 - 1977年
次代
中里精




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