安井謙とは? わかりやすく解説

安井謙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/02 03:09 UTC 版)

安井 謙
やすい けん
生年月日 1911年3月22日
出生地 日本 岡山県岡山市
没年月日 (1986-03-10) 1986年3月10日(74歳没)
死没地 東京都板橋区
日本大学医学部附属板橋病院
出身校 京都帝国大学経済学部
前職 安井誠一郎東京都知事秘書
所属政党 自由党→)
自由民主党
称号 従二位
勲一等旭日桐花大綬章
参議院永年在職議員
親族 兄・安井誠一郎東京都知事
第13代 参議院議長
在任期間 1977年7月28日 - 1980年7月7日
天皇 昭和天皇
在任期間 1968年8月3日 - 1971年7月17日
議長 重宗雄三
内閣 第1次佐藤第1次改造内閣
在任期間 1965年6月3日 - 1966年8月1日
内閣 第2次池田内閣
第2次池田第1次改造内閣
在任期間 1960年12月8日 - 1962年7月18日
選挙区 東京都選挙区
当選回数 6回
在任期間 1950年6月4日 - 1986年3月10日
その他の職歴
第10代 自由民主党参議院議員会長
(総裁:田中角栄三木武夫福田赳夫
1974年 - 1977年
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安井 謙(やすい けん、1911年3月22日 - 1986年3月10日)は、日本政治家。位階は従二位勲一等、勲章は旭日桐花大綬章

参議院議長(第13代)、参議院副議長(第11代)、自治大臣第4代)、国家公安委員会委員長第13代)、総理府総務長官第14代)、参議院議院運営委員長(第16代)、自由民主党参院議員会長(第10代)同参議院幹事長参議院議員(6期)。

兄は公選初代東京都知事を務めた安井誠一郎。弟は雪印食品副社長の安井三郎[1]

概要

岡山県岡山市出身[1]旧制岡山第二中学校旧制第六高等学校文科乙類[2]1935年京都帝国大学経済学部卒業[1]。京都帝国大学在学中は学生運動に参加し、左翼思想に傾倒していたため周囲から「マルクス坊や」と呼ばれていた。学生時代は野球、水泳、柔道に励み[3]、柔道6段のほか空手6段[1]。1935年、南満洲鉄道に入社、終戦まで経理部に所属[3][4]

第二次世界大戦後、初の公選により東京都知事に選出された兄安井誠一郎の秘書を務める。1950年第2回参議院議員通常選挙自由党公認で東京地方区(定数4)から立候補し、281,256票を獲得してトップ当選を果たした。以後、6期36年にわたり参議院議員を務め、1955年保守合同により自由民主党結党に参加。1957年参議院議院運営委員長に起用され、1959年まで務める。また党務では田中角栄三木武夫福田赳夫ら歴代の総裁の下で自由民主党参議院議員会長、参議院幹事長、東京都連会長、参議院ILO特別委員長[1]などを歴任した。

また、1957年から1986年まで、東京都国民健康保険団体連合会理事長[5]

第5次吉田内閣労働政務次官を務め、第2次池田内閣自治大臣国家公安委員会委員長に任命され、初入閣を果たした。第1次佐藤第1次改造内閣総理府総務長官に任命され、2度目の入閣を果たす。総理府総務長官在任中は建国記念の日敬老の日体育の日導入に携わった[3]

1968年重宗雄三参議院議長の下で参議院副議長に就任する。1971年まで3年間副議長を務め、1977年には参議院議長に就任した。1980年6月22日衆参同日選挙では、参議院議長の職責を果たすため、自民党の党籍を離脱し、無所属東京地方区から立候補。自民党の推薦も受け、過去最多の1,315,583票を獲得してトップ当選した。なお、安井が6回の選挙でトップ当選できなかったのは、1968年第8回参議院議員通常選挙で、公明党阿部憲一の得票数を約1万票下回った時のみである。同年7月7日、参議院議長を退任(後任は徳永正利)。1981年11月の秋の叙勲で、勲一等旭日桐花大綬章を受章する[6]

1985年春に風邪をこじらせて肺炎と肝機能障害により入院、秋に一度退院、自宅療養するも経過が思わしくなく、同年12月に公認辞退届を出して今期限りで政界から引退する予定だったが、1986年3月10日、急性心不全のため、東京都板橋区日本大学医学部附属板橋病院で死去した[3]。74歳没。同月14日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって従二位に叙され、銀杯一組を賜った[7]哀悼演説は同年4月23日、参議院本会議で秋山長造により行われた[8]

所属団体・議員連盟

  • 日仏友好議員連盟
  • 日韓友好議員連盟
  • 日本オーストリア友好議員連盟[3]
  • 日本フィンランド友好議員連盟[1]
  • 東日本実業団空手道連盟(初代会長)

選挙歴

当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第2回参議院議員通常選挙 1950年6月4日 東京都地方区 自由党 281,256 1/17 - -
第4回参議院議員通常選挙 1956年7月8日 東京都地方区 自由民主党 473,549 1/17 - -
第6回参議院議員通常選挙 1962年7月1日 東京都地方区 自由民主党 794,618 1/24 - -
第8回参議院議員通常選挙 1968年7月7日 東京都地方区 自由民主党 821,204 2/24 - -
第10回参議院議員通常選挙 1974年7月7日 東京都地方区 自由民主党 1,268,412 1/20 - -
第12回参議院議員通常選挙 1980年6月22日 東京都地方区 無所属 1,315,583 24.8 1/11 - -
当選回数6回

文献

脚注

  1. ^ a b c d e f 安井 謙https://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E4%BA%95%20%E8%AC%99コトバンクより2023年2月21日閲覧 
  2. ^ 「旧制高等学校物語 第6」財界評論社 1965年
  3. ^ a b c d e 第104回国会 参議院 本会議 第12号 昭和61年4月23日
  4. ^ 安井謙|岡山市|区役所情報|北区役所
  5. ^ 事業案内 東京都国民健康保険団体連合会
  6. ^ 『官報』号外第97号1頁 昭和56年11月6日
  7. ^ 『官報』第17728号12-13頁 昭和61年3月19日号
  8. ^ 第104回国会 参議院 本会議 第12号 昭和61年4月23日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム

関連項目

外部リンク

公職
先代
臼井荘一
総理府総務長官
第14代:1965年 - 1966年
次代
森清
先代
周東英雄
自治大臣
第4代:1960年 - 1962年
次代
篠田弘作
先代
周東英雄
国家公安委員会委員長
第13代:1960年 - 1962年
次代
篠田弘作
議会
先代
河野謙三
参議院議長
第13代:1977年 - 1980年
次代
徳永正利
先代
河野謙三
参議院副議長
第11代:1968年 - 1971年
次代
森八三一
先代
石原幹市郎
参議院議院運営委員長
第16代:1957年 - 1959年
次代
高橋進太郎
党職
先代
郡祐一
自由民主党参院議員会長
第9代:1973年 - 1977年
次代
徳永正利
非営利団体
先代
木崎茂男
東京都国民健康保険団体連合会理事長
第5代:1957年 - 1986年
次代
志賀美喜哉




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