和泉覚とは?

和泉覚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/13 11:28 UTC 版)

和泉 覚(いずみ さとる、1912年明治44年)5月18日 - 2005年平成17年)5月7日)は、創価学会理事長(第4代)、政治家。静岡県出身。




  1. ^ 池田大作著『人間革命』第3巻 86~104頁
  2. ^ 池田大作著『人間革命』第5巻 246~247頁
  3. ^ 創価学会は1955年の「小樽問答」を境に法論を極力行わないという方針を決め、妙信講に対しても日蓮正宗管長細井日達の仲介で交渉の結果、1972年(昭和47年)の正本堂落慶直前に聖教新聞紙上に和泉名義の談話を掲載して一応の和解ができていたため、これ以上の討論は必要ないという態度を取っていた。しかし、妙信講は直前の8月12日、日達から講中解散処分を受けていて、これを当時日蓮正宗内で最大の講中だった創価学会の陰謀と決め付けた。このため、妙信講(後の富士大石寺顕正会)は、池田を仏敵扱いし、日蓮正宗内から池田を追放するよう要求。青年部員は池田の口から謝罪がないなら殺害する覚悟まで持っていた。これに当時の妙信講理事長で現在冨士大石寺顕正会会長の浅井昭衛がゴーサインを出し、10月4日、街宣車に乗った妙信講青年部員ら70人が東京・信濃町の創価文化会館に乗り込むことになる。和泉は学会施設の警備を担当する会員組織である牙城会に対し、「責任者(和泉ないしは池田を指す)に御書講義をしたい」と来館理由を説明した妙信講側を拒否するよう指示した。しかし妙信講側は「それなら実力でも会ってやる」と池田に対するテロも示唆しつつ、街宣車を創価文化会館の表の扉に衝突させて破壊した。創価学会は警視庁に機動隊の出動を要請し、鎮圧に成功するが、妙信講側の1人が負傷、12人が逮捕された。後に、妙信講が乗り込んだのは学会顧問弁護士の山崎正友らを中心とした学会法医委員会の謀略にはまった形で、機動隊の出動についても事前に法医委員会との間で調整がついていたことが判明する。浅井昭衛は自派の機関誌「冨士」の中で「学会に公場対決(公開討論会)を求めてきたが応じないので青年部を抗議にやったところ、活動そのものを捏造された。(乱入事件で)見事に戦った我が方の青年部員だけが逮捕されるとは何事だ」と猛反論、両団体の関係は事実上修復不可能となった。
  4. ^ 『人間革命』第3巻 86-104頁


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