日蓮正宗
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日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)とは、宗祖日蓮を末法の本仏、三大秘法を宗旨[1][注釈 1]とし、日本の静岡県富士宮市の大石寺を総本山とした富士門流[注釈 2]に位置づけられる仏教の宗派である[2]。講員数約86万人。
注釈
- ^ 三大秘法とは、本門の本尊(本門戒壇の大御本尊)・本門の戒壇(本門の本尊安置の場所)・本門の題目(本門の本尊に向かって題目を唱えること)の3つのことである[1]。
- ^ 日興門流を自らまたは客観的に認定されるいくつかの宗派の総称。
- ^ 謗法を捨てること
- ^ 三大秘法の受持信行
- ^ 類似の記述は(宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, pp. 166–167)にもあるが、ここでは僧宝を一義的には派祖とし、大石寺第26世日寛の文を引用して、歴代も含まれる、としている。また、(日蓮正宗宗務院 2008, pp. 18–19)には、引用文同様に「日興上人を随一として、総本山のご歴代上人を僧宝として崇める」とあるも、僧宝は派祖とし、広義では「日蓮正宗の僧俗も含まれます」とある。
- ^ (金岡秀友 1979, p. 205)(斎藤昭俊 1988, p. 441)には、大石寺が本門宗より独立して日蓮宗富士派と称したのは1899年、日蓮正宗と改称したのは1912年(大正元年)、とそれぞれある。
- ^ 伊勢神宮から(皇室の祖先とされる)天照皇大神を分霊した神社が日本の占領地の方々に建てられ、満州だけでも500社以上にのぼった。これは満蒙開拓団の指導者だった加藤完治が天皇中心主義の古神道学者・筧克彦を信奉していた影響が大きいが、俯瞰すれば、この時代の軍部・右翼国粋主義者が戦争による勢力圏拡張によって、【民族神=天照大神=現人神に祭り上げられた天皇】を【世界神】にしてしまおうという野望を抱いていた、との解釈が成り立つ[47]。
- ^ 1939年(昭和14年)4月8日法律第77号
- ^ 創価学会側は、日蓮正宗が破和合僧を行ったとみている。
- ^ 「法主=管長への過度な中央集権化」との批判があるが、これは法主としての法義上の権能と、管長としての組織運営上の権限を混同した批判である。
- ^ ただし、1872年太政官布告133号により妻帯禁止が解除されて以後、僧侶の結婚自体は認められている。
- ^ 「じょうごう」または「ちょうぎょう」と読む。
- ^ (宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 288)には、宗旨建立会とある。
出典
- ^ a b c 小川只道 2014, p. 295.
- ^ 宮崎英修 1978, p. 204a-ただし、別途出典のある記述は除く。
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 141.
- ^ 日蓮正宗宗務院 1999, p. 38.
- ^ 有賀要延 1975, p. 184-ただし、本迹勝劣を採用していることのみ。
- ^ 日蓮正宗宗務院 1999, p. 252-ただし、本迹勝劣を採用していることのみ。
- ^ 金岡秀友 1979, p. 205a-ただし、日蓮本仏論を採用していることのみ。
- ^ 日蓮正宗宗務院 1999, pp. 97–98-ただし、日蓮本仏論を採用していることのみ。
- ^ 宮崎英修 1978, p. 204b.
- ^ 折伏教本編纂委員会 2004, p. 13.
- ^ 『創価学会『ニセ本尊』破折100問100答』
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, pp. 123–136.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, pp. 298–299.
- ^ 創価学会教学部 1968, p. 89.
- ^ 日蓮正宗宗務院 1999, pp. 337–338.
- ^ 日蓮正宗宗務院 2004.
- ^ 日蓮正宗宗務院 1999, p. 317-ll.3-5
- ^ 日蓮正宗宗務院 1999, p. 236-ただし、仏像に否定的なことのみ。
- ^ 日蓮正宗宗務院 1999, pp. 134–135.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 229.
- ^ 榎木境道 2007, p. 451.
- ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 113.
- ^ 榎木境道 2007, pp. 450–454-ただし、本書p.453には、本門宗への改称が許された1889年(明治32年)時点での興門派は「大石寺を除く」ともある。
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 230a-ただし、日蓮宗興門派と称していたことのみ。
- ^ 斎藤昭俊 1988, p. 458-ただし、日興門流が1876年(明治9年)に独立して日蓮宗興門派と称したこと、1899年(明治32年)に本門宗と改称したことのみ。
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, pp. 229–230-ただし、本書には、「大石寺一本寺独立願」とある。
- ^ 榎木境道 2007, p. 453.
- ^ 榎木境道 2007, pp. 478–479.
- ^ 本門宗#歴代管長
- ^ 榎木境道 2007, p. 479.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 230b.
- ^ 榎木境道 2007, p. 480.
- ^ 榎木境道 2007, p. 481.
- ^ 榎木境道 2007, pp. 495–496-ただし、複数回の嘆願の結果、1900年(明治33年)に分離独立が認可され、日蓮宗富士派の公称が許されたことのみ。
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 224a-ただし、1900年第56世日応の代に日蓮宗富士派の公称が認められたことのみ。
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 230c-ただし、1900年に分離独立が認可され、日蓮宗富士派の公称が許されたことのみ。
- ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 117-ただし、1900年に日蓮宗富士派が独立発表式を挙行したことのみ。
- ^ 金岡秀友 1979, p. 205b-ただし、大石寺が本門宗より独立して日蓮宗富士派と称したことのみ。
- ^ 斎藤昭俊 1988, p. 441-ただし、大石寺が本門宗より独立して日蓮宗富士派と称したことのみ。
- ^ 榎木境道 2007, p. 510.
- ^ 榎木境道 2007, pp. 509–510.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 224b-ただし、1912年(明治45年)6月、大石寺第57世日正の代に日蓮正宗の宗名が認可されたことのみ。
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 231-ただし、1912年6月7日、大石寺第57世日正の代に日蓮正宗と公称したことのみ。
- ^ 日蓮宗現代宗教研究所 1981, p. 191-ただし、1912年に日蓮宗富士派が日蓮正宗と改称したことのみ。
- ^ 木村勝行 1995, pp. 61–62-ただし、1872年(明治5年)に不受不施派を除く日蓮系教団一致・勝劣両派が合同したこと、1874年(明治7年)に日蓮宗一致派・日蓮宗勝劣派の二派になったこと、1876年に勝劣派が八品派・興門派・妙満寺派・本成寺派・本隆寺派の5派になったこと、1899年(明治32年)に興門派が本門宗に改称したこと、1900年に大石寺が本門宗より独立して日蓮宗富士派と称したこと、1912年に日蓮宗富士派が日蓮正宗と改称したことのみ。
- ^ 本間裕史 1995, p. 63a-ただし、1899年に興門派が本門宗に改称したこと、1900年に大石寺が本門宗より独立して日蓮宗富士派と称したこと、1912年に日蓮宗富士派が日蓮正宗と改称したことのみ。
- ^ 立花隆 2005, pp. 550–551.
- ^ 榎木境道 2007, pp. 515–516.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 233a-ただし、1941年(昭和16年)3月10日、大石寺御影堂で『僧俗護法会議』が開催され、合同拒否を決議したことのみ。
- ^ 榎木境道 2007, p. 516.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 233b-ただし、大石寺第62世日恭が文部省で合同不承知を訴えたことのみ。
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 233c.
- ^ 榎木境道 2007, p. 517.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 234-ただし、康熙字典体・踊り字は改めた。
- ^ 昭和16年12月8日付『訓諭』、昭和17年『大日蓮』1月号-戦争布告の大詔を拝して光輝ある元朝を迎ふ-、昭和17年10月10日『院達』、昭和17年11月1日『院達』
- ^ a b c 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 236-ただし、「日蓮宗から離脱した」とはない。
- ^ 本間裕史 1995, p. 63b-ただし、1950年(昭和25年)に下条妙蓮寺が日蓮宗より日蓮正宗へ帰属したことのみ。
- ^ 本間裕史 1995, p. 63c-ただし、1957年(昭和32年)に西山本門寺が単立になったこと保田妙本寺が日蓮宗より日蓮正宗へ帰属したことのみ。
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 238.
- ^ a b https://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/85-2.html
- ^ http://www.jihonji.jp/syoshuhasyaku12.html
- ^ 文化庁 1991, pp. 74–75.
- ^ 文化庁 2009, pp. 70–71.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, pp. 239–240.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 240.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 241.
- ^ 日蓮正宗宗務院 2008, pp. 94–102.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 288.
- ^ 日蓮正宗宗務院 2008, pp. 104–110.
日蓮正宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 15:40 UTC 版)
日蓮正宗では、三大秘法を同宗教義の根本とし、「宗旨の三箇」と呼んでいる。同宗における三大秘法の解釈は、以下の通り。 本門の本尊 - 「人」と「法」があり、「人」は久遠元初自受用身の再誕日蓮・「法」は十界互具事の一念三千の大曼荼羅のこととし、これらが一体である(人法一箇の本尊)とする。 本門の戒壇 - 「事」と「義」があり、「事」は本門戒壇の大御本尊を安置するところ・「義」は日蓮正宗の末寺ならびに信者家庭へ下付された御本尊を安置するところのこと。 本門の題目 - 「信」と「行」があり、「信」は本門戒壇の大御本尊を信じること・「行」は「信」をもって南無妙法蓮華経と自ら唱えること。 三大秘法は「本門戒壇の大御本尊」(一大秘法)に納まり、かつ上述の「人」「法」の本尊・「事」「義」の戒壇・「信」「行」の題目の六義(六大秘法)に開け、さらに開くと仏教八万法蔵の法門になる。 「六巻抄#文底秘沈抄」も参照
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日蓮正宗
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(宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 253)には、「当時の日蓮宗各派の邪義をことごとく破折して、大石寺にのみ伝わる正法正義を宣揚し、本宗の教義や信仰の精髄を体系的にまとめたもの」とある。 (日蓮正宗宗務院 1999, pp. 287-288)には、「六巻抄は〔略〕本宗の大綱を括って、他門不共独歩の正義を組成されたのである。〔略〕日寛上人の教学論中のどの部分をとって見ても、富士門家の伝統を脱し、先師・先哲に反する発明教学はありえない。表現上の相違や、先師がいい残された部分を時に従って開陳されたのみである。」とある。
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日蓮正宗
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日蓮正宗は機関紙慧妙で裁判所が創価学会の違法行為を認めた事は評価している。
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