日蓮本仏論
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日蓮本仏思想は、日蓮宗勝劣派・富士門流の教義。 法華経以外の経典では、釈尊が出家して6年間修行して悟りを開いたとしている。これを始成正覚(しじょうしょうかく)という。しかし法華経の如来寿量品第十六には、「我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」と書かれ、五百塵点劫という久遠における仏の成道が説かれている。 天台の法華玄義には「若し過去は最初所証の権実の法を名けて本と為す也。本証より已後方便化他開三顕一発迹顕本は、かえって最初を指して本と為す。中間示現の発迹顕本も亦最初を指して本と為す。今日の発迹顕本も亦最初を指して本と為す。未来の発迹顕本も亦最初を指して本と為す。三世すなわちことなれども毘盧舎那一本異ならず」とある。 文証:日蓮正宗では、宗祖は外用としては法華経に予証された末法の世を救う上行菩薩であるがその内証は久遠元初の自受用身すなわち末法の御本仏「本因妙の教主釈尊」である、とする。それ故に宗祖を「日蓮大聖人」と尊称している。『開目抄』『諸法実相抄』『就註法華経口伝(御義口伝)』『本尊問答抄』『百六箇抄』『本因妙抄』『産湯相承事』を真蹟とした上で、下記の文言をその典拠にしている。 夫(それ)仏は一切衆生に於て主師親の徳有り。(蓮盛抄 建長七年三四歳 平成新編御書28) 日蓮は日本国の諸人に主師父母なり。(開目抄 文永九年二月 五一歳 平成新編御書577) 今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は一切衆生の父なり。無間地獄(むけんじごく)の苦を救ふ故なり云云。涅槃経に云はく「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」云云。日蓮が云はく、一切衆生の異の苦を受くるは悉く是日蓮一人の苦なるべし。(御義口伝 平成新編御書1771) 末法の仏とは凡夫なり。凡夫僧なり。(中略)僧とは我等行者なり。仏共云はれ、又は凡夫僧とも云はるゝなり。(御義口伝 弘安三年正月十一日 平成新編御書1779) 凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。然れば釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を備へ給ふと思ひしにさにては候はず、返って仏に三徳をかぶ(被)らせ奉るは凡夫なり。(諸法実相抄 文永一〇年五月一七日 五二歳 平成新編御書665) 一方、日蓮正宗以外の富士門流には釈迦本仏論を基底とした日蓮本仏論がある。
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日蓮本仏論
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日蓮正宗の特徴的な教義に日蓮本仏論と血脈相承論があり、後者は二代目の日興を経て、日蓮正宗の総本山法主が代々日蓮の仏法を継承しているという論である。
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