日蓮本仏論とは? わかりやすく解説

日蓮本仏論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 23:04 UTC 版)

本仏」の記事における「日蓮本仏論」の解説

日蓮本仏思想は、日蓮宗勝劣派富士門流教義法華経以外の経典では、釈尊出家して6年修行して悟り開いたとしている。これを始成正覚しじょうしょうかく)という。しかし法華経如来寿量品第十六には、「我は実に成仏してより已来無量無辺百千那由他劫なり」と書かれ、五百塵点劫という久遠における仏の成道説かれている。 天台法華玄義には「若し過去最初所証権実の法を名けて本と為す也。本証より已後方便化他開三顕一発迹顕本は、かえって最初指して本と為す中間示現の発迹顕本も亦最初指して本と為す今日の発迹顕本も亦最初指して本と為す未来の発迹顕本も亦最初指して本と為す三世すなわちことなれども毘盧舎那一本異ならず」とある。 文証日蓮正宗では、宗祖外用としては法華経に予証され末法の世を救う上行菩薩であるがその内証は久遠元初自受用身すなわち末法御本仏「本因妙の教主釈尊」である、とする。それ故宗祖を「日蓮大聖人」と尊称している。『開目抄』『諸法実相抄』『就註法華経口伝御義口伝)』『本尊問答抄』『百六箇抄』『本因妙抄』『産湯相承事』を真蹟とした上で下記文言をその典拠にしている。 夫(それ)仏は一切衆生に於て主師親の徳有り。(盛抄 建長七年三四平成新編御書28日蓮日本国諸人に主師父母なり。(開目抄 文永九年二月 五一平成新編御書577) 今日等の類南無妙法蓮華経唱へ奉る者は一切衆生の父なり。無間地獄むけんじごく)の苦を救ふ故なり云云涅槃経に云はく「一切衆生の異の苦を受くるは悉く如来一人の苦なり」云云日蓮が云はく、一切衆生の異の苦を受くるは悉く日蓮一人の苦なるべし。(御義口伝 平成新編御書1771末法の仏とは凡夫なり。凡夫僧なり。(中略)僧とは我等行者なり。仏共云はれ、又は凡夫僧とも云はるゝなり。(御義口伝 弘安三年正月十一日 平新編御書1779) 凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。然れば釈迦仏我等衆生のためには主師親の三徳を備へ給ふ思ひしにさにては候はず返って仏に三徳をかぶ(被)らせ奉る凡夫なり。(諸法実相文永一〇五月一七日 五二平成新編御書665) 一方日蓮正宗以外の富士門流には釈迦本仏論基底とした日蓮本仏論がある。

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日蓮本仏論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/16 08:42 UTC 版)

池田大作本仏論」の記事における「日蓮本仏論」の解説

日蓮正宗特徴的な教義に日蓮本仏論と血脈相承論があり、後者二代目日興経て日蓮正宗総本山法主代々日蓮仏法継承しているという論である。

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