方便とは? わかりやすく解説

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た‐ずき〔たづき〕【方便/活計】

読み方:たずき

《「手(た)付(つ)き」の意。「たつき」とも》

生活の手段。生計

「此地に善き世渡の—あらば」〈外・舞姫

事をなすためのよりどころ。たより。よるべ。

言ふすべの—もなきは我が身なりけり」〈四〇七八

ようす。状態。また、それを知る手がかり

世の中繁き仮廬(かりほ)に住み住みて至らむ国の—知らずも」〈万・三八五〇〉


た‐つき【方便】

読み方:たつき

⇒たずき(方便)


た‐どき【方便】

読み方:たどき

「たずき」に同じ。

「立ちて居て—を知らにむら肝(きも)の心いさよひ」〈二〇九二〉


ほう‐べん〔ハウ‐〕【方便】

読み方:ほうべん

[名・形動

《(梵)upāyaの訳。近づく意》仏語。人を真実教えに導くため、仮にとる便宜的な手段

ある目的達するための便宜上の手段。「うそも—」

多く御方便」の形で)都合のよいさま。

でも、御—なものだ」〈藤村新生


方便

読み方:ホウベン(houben), タズキ(tazuki), タツキ(tatsuki), タドキ(tadoki)

ある目的達するため便宜的に用いられる手段


方便

名字 読み方
方便ほうべん
名字辞典では、珍しい名字を中心に扱っているため、一般的な名字の読み方とは異なる場合がございます。

方便

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/01 14:57 UTC 版)

方便(ほうべん)には、次の3つの意味がある。

  1. 仏教において、衆生を教え導く巧みな手段や、真実の教法に誘い入れるために仮に設けた教えを意味する仏教用語[1][2]。本記事で詳述。
  2. 目的のために利用する便宜の手段[1][2]。手立て[1]。「嘘も方便」などの用法がある[1][2]
  3. 都合のよいさま[2]。多くは「御方便」という形で用いられる[2]

原語

「方便」はサンスクリットの upāya ウパーヤの漢語訳であり[2]、upāya は、upa〜を語幹に持つ動詞(=「近づく」「到達する」)から派生した名詞である。すなわち、[要出典] upāya の原義は「近づく」、「到達する」[2]

概説

仏教用語としての「方便」は、衆生を教え導く巧みな手段や、真実の教法に誘い入れるために仮に設けた教えを意味する[1][注釈 1]

方便は十波羅蜜の第七である方便波羅蜜としても知られる[3]

方便の意味の展開

『法華経』方便品第二
  • 最初期の仏教においては、ウパーヤは衆生が仏や悟りに近づく方策のことを主に指していた。
  • 初期〜中期大乗経典においては、ウパーヤは仏の智慧による衆生を済度に近づけるための巧みな方法を主に意味するようになり、菩薩の重要な徳目である。
  • 『般若経』においては、仏の悟りに到達するために菩薩は方便として、執着しないということ(般若波羅蜜)を実践するのだ、とされる。
  • 『大智度論』においては、菩薩道に般若波羅蜜と方便の二つがあるが、ふたつはひとつなのだ、と説かれる。
  • 法華経』においては、方便は仏が衆生に真実を明かすまでの一時的な手段、となってあらわれる。方便は章の題名ともなっており(「方便品」)、それまでに仏が説いた三乗の教えは、「方便」すなわち「仮の教え」である、と説かれ、実は三乗の人すべてが仏となる一仏乗だけがあるのだ、と説かれる(会三帰一)。また、如来寿量品では、釈迦が涅槃に入ったのも方便であって、実は仏は久遠の過去から常住しているのだ、ということが明かされる(日蓮なども参照)
  • 大般涅槃経』においては、『法華経』の流れを汲みつつ、三乗教は方便であるとして一乗を説いている。しかし『涅槃経』では仏性を根本に据えて法華経よりも詳細に理論的に会三帰一の根拠を明かし、『法華経』の久遠実成を推し進めて、涅槃入滅も方便として、さらに久遠常住を説く。また諸行無常など仏法の基本的教理も発展的に捉え、それまでの「無常・無我・苦・不浄」を方便として涅槃の境地こそ「常楽我浄」だと説いている。
    • さらには一闡提の不成仏や末法をも明確に否定し、すべての教説は『涅槃経』に至るまでの段階的説法の過程における方便とする。また四諦などそれまでの経典に説いた教説を再び説いてそこに涅槃の観法から新しい解釈を加え、それまでの大小乗など経典間の矛盾を融和し止揚すべく説いている。
  • 密教においては、方便の意義には大きな転換がある。7〜8世紀頃成立の後期大乗である密教経典『大日経』においては、方便を究極的に仏の一切智智そのものとしている。すなわち、そもそも仏が一切智智を獲得する根は大悲であり、因は菩提心であると説かれ、如来が大悲によって衆生を救済しつづける「方便」に価値が置かれるようになり、方便は手段であるだけでなく同時に目的でもあり、二つは完全に一致したものなのである。

仏典における扱い

原始仏典に見られる逸話

  • クッダカニカーヤ』(Khuddaka Nikāya)の「長老尼の譬喩」(Therī Apadāna)の第22章「キサーゴータミーの譬喩」(Kisāgotamī apadāna)には、釈迦が、我が子を亡くしたキサーゴータミーという女性に対して、「死者を出したことの無い家からカラシの種をもらってきたら、その子が生き返る薬を作ってあげよう」と言う場面がある。キサーゴータミーは家々を回り、どの家にも生老病死というものがあることを知って、釈迦の弟子となった。
  • マッジマニカーヤ』(Majjhima Nikāya)の第86経「アングリマーラ経」( Aṅgulimāla Sutta)には、難産で苦しむ妊婦を勇気づけるために、釈迦が、出家以前は殺人鬼であった弟子アングリマーラに対して、「女人よ、私は、聖なる生を得てからこのかた、故意に生きるものの生命を奪ったという覚えがない。その真実によって、あなたに安らぎが、胎児に安らぎがあるように」と言うように命じる場面がある。妊婦はその言葉を聞いて苦痛を和らげることができた。

脚注

注釈

  1. ^ が巧みに工夫して衆生を導く智慧の力のことを方便力(ほうべんりき)という[1]

出典

  1. ^ a b c d e f 新村出(編) 『広辞苑』(第三版)岩波書店、1986年10月、2191頁。 
  2. ^ a b c d e f g 方便(ほうべん)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年10月21日閲覧。
  3. ^ 學佛心得分享(2402)--何等為『十種方便智波羅蜜』 - 台灣法律網。

関連項目


方便

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 22:44 UTC 版)

「禅」の記事における「方便」の解説

方便法輪日本の禅では、仏祖禅師本意ではないものの、本意伝え手段となりうるという意味で方便という。またいかにすれば仏性発現できるかを模索する柔軟な心構えをいう。教宗の学、真言宗三密律宗戒律のようなのである只管打坐しかんたざ) ただひたすらに坐禅実践せよの意味ひたすらとは禅定深さ表現した言葉である。意識捨てて無意識下において坐禅する、坐禅そのものなりきることを意味する。いま坐禅している自分がいる、という自覚すら忘れてしまうほどに、坐禅という行為そのもの没頭する坐忘)。この手法によって初心者でも、より深い禅定境地を、容易に体験可能であるとされる。 ただ、禅宗臨機応変であり、大乗仏教あらゆる道に仏道含まれていると考えるので、坐禅以外のことはしてはならないということはないが、このようなことは初心者には理解及ばず、そのために初心者向けの方便として只管打坐・修証一如こそが禅宗極意であるということ言われる坐禅境地には上下なく、坐禅すれば等しく仏であるという喝も、只管打坐奨励する一種暗喩的方便である。 ただし今世悟り開けずとも、坐禅功徳によって来世では悟りを開く事ができるとされるため、坐禅をすればそのままただちに仏である(坐禅なければいつまでも仏にはなれない)という意味通り解釈間違いではない。仏道成就早い遅いについて達磨いわく、心がすでに道である者は早く、志を発して順々に修行重ねる人は遅く両者には百千万劫もの時間差があるという。深く正しく坐禅する者は早く、しなければ遅いという意味の一連の喝は、学習よりも坐禅実践強調する表現手法である。 公案禅こうあんぜん) 達磨大師西から旅をして来た理由は、国外仏教衰え憂えて、悟るために重要なものが坐禅実践であり、経典学習ではないことを宣教するためであるとされる。しかし、ひとまず思考議論・学習を止めよ教えても、なぜ止めねばならないかについて思考議論・学習を始めてしまうような思考癖のある修行者にとって、只管打坐至難方法となる。 そのような修行者は、いかなる経典を学ぶとも、悟りというものの共感得られないために、想像ふくらませ解釈しようとする。無理な想像妄想となって理解歪み生じ、自ら生み出した曲解妨げられてますます悟りから遠のくという事態は、昔から多く師家悩ませてきた。経典を学ぶにしても学び手必要なものはまず悟り体験である。悟りというものは自分の心で自分の心を確認し自分の心で自分の心を理解するのである他人に頼って何かを明らかにするとか、自分以外の何かを利用して体得するようなものではない。 従って、悟るためには何よりもまず坐禅実践によって自分自身向き合うことが肝要である。こうした問題意識から、思考癖のある聡い修行者坐禅実践させるために、禅師たちが考え出した方法公案禅である。修行者公案与え行住坐臥つねに公案答え考えさせるのである公案 公案直に悟り境地指し示したものであり、ひらめき一体化した言い表せない感情的なのである心がけがよくなく、このままではまちがった方向に進むおそれのある修行者に対して師家のような意味合い修行者授ける。 内容は、昔の高僧言葉を使うこともあれば、即興作られることもある。公案与えられ修行者は、その言葉どのような本意から創造されたかを正しく悟って師家の前で心を以て回答することを要求される公案多く自己矛盾文体為しており、そのまま意味を理解しようとしても論理的に破綻する場合が多い。公案答え常識的な思考届かないところにあり、自己消し去ることで矛盾解消したり、矛盾止揚して高次段階統一したのである場合が多い。そういった答えに至る過程に禅の極意含まれているとし、修行者正し悟りに導くための工夫一つとされる。 ただし、このような学習捨てて坐禅させるという方法は、師家善良な監督にあって庇護を受けることができる出家僧侶向けたものであり、在家信者坐禅学習両方を行う必要があるとされる内観 禅の修行厳しく師家のほうでも敢えて禅人を苦しめるのは、富貴安穏であれば仏道求めることが困難だからである。釈迦王位に就いて姫と歓楽耽り国中財産集めた贅沢三昧の生活を、自ら捨てて出家して年間苦行をしたのも、このような理由であるとされる不意に病にかかり、気を失って死んだ方がましだと思うよう病苦中にあるときこそ必死に坐禅すれば、またとない大悟機会となる。たとえ大悟得られなくとも、その時苦しみ思い返せば多少の生活の苦しみは取るに足りなくなる。また、無始無終生死迷い打破し如来悟り徹底するような、めでたい事は少しばかり艱難辛苦なしには、得られるものではないという覚悟が、必要であるとされるとはいえ参禅限度超えて神経衰弱苦しみにある修行者を見かねた白隠禅師が、その治療方法としての内観秘法伝授した神経衰弱から来る禅病を直すための心身休養方法であり、心身もとより空虚なのであることを体験するために、24時間睡眠禅宗的なイメージトレーニング数息観丹田呼吸を行う。 二入四行 達磨伝えたとされる二つ真理への至り方と、四つ実践方法悟りに至る方法数多くあるが、それらはすべてこの二つ要約されるとする。

※この「方便」の解説は、「禅」の解説の一部です。
「方便」を含む「禅」の記事については、「禅」の概要を参照ください。

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方便

出典:『Wiktionary』 (2021/08/13 01:10 UTC 版)

名詞

便 (たずき, たつき, たどき, ほうべん)

  1. (ほうべん)
    1. 仏教語 サンスクリット「ウパーヤ」の漢訳悟り近づく方法、あるいは悟りに近づかせる方法
    2. 都合良い手段
  2. (たずき, たつき, たどき) 生活手段

関連語


「方便」の例文・使い方・用例・文例

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