方便の意味の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/06 05:56 UTC 版)
最初期の仏教においては、ウパーヤは衆生が仏や悟りに近づく方策のことを主に指していた。 初期〜中期大乗の経典においては、ウパーヤは仏の智慧による衆生を済度に近づけるための巧みな方法を主に意味するようになり、菩薩の重要な徳目である。 『般若経』においては、仏の悟りに到達するために菩薩は方便として、執着しないということ(般若波羅蜜)を実践するのだ、とされる。 『大智度論』においては、菩薩道に般若波羅蜜と方便の二つがあるが、ふたつはひとつなのだ、と説かれる。 『法華経』においては、方便は仏が衆生に真実を明かすまでの一時的な手段、となってあらわれる。方便は章の題名ともなっており(「方便品」)、それまでに仏が説いた三乗の教えは、「方便」すなわち「仮の教え」である、と説かれ、実は三乗の人すべてが仏となる一仏乗だけがあるのだ、と説かれる(会三帰一)。また、如来寿量品では、釈迦が涅槃に入ったのも方便であって、実は仏は久遠の過去から常住しているのだ、ということが明かされる(日蓮なども参照) 『大般涅槃経』においては、『法華経』の流れを汲みつつ、三乗教は方便であるとして一乗を説いている。しかし『涅槃経』では仏性を根本に据えて法華経よりも詳細に理論的に会三帰一の根拠を明かし、『法華経』の久遠実成を推し進めて、涅槃・入滅も方便として、さらに久遠常住を説く。また諸行無常など仏法の基本的教理も発展的に捉え、それまでの「無常・無我・苦・不浄」を方便として涅槃の境地こそ「常楽我浄」だと説いている。さらには一闡提の不成仏や末法をも明確に否定し、すべての教説は『涅槃経』に至るまでの段階的説法の過程における方便とする。また四諦などそれまでの経典に説いた教説を再び説いてそこに涅槃の観法から新しい解釈を加え、それまでの大小乗など経典間の矛盾を融和し止揚すべく説いている。 密教においては、方便の意義には大きな転換がある。7〜8世紀頃成立の後期大乗である密教経典『大日経』においては、方便を究極的に仏の一切智智そのものとしている。すなわち、そもそも仏が一切智智を獲得する根は大悲であり、因は菩提心であると説かれ、如来が大悲によって衆生を救済しつづける「方便」に価値が置かれるようになり、方便は手段であるだけでなく同時に目的でもあり、二つは完全に一致したものなのである。
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