日蓮正宗との対立・決別
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:25 UTC 版)
正信会問題では共闘した日顕との関係は悪化に向かう。1990年(平成2年)7月17日、日蓮正宗との連絡会議の席上、学会側が宗門や法主を批判して席を立つ。同年11月16日、第35回本部幹部会における池田のスピーチに対し、日蓮正宗側は法主や僧侶を軽視するものだとして学会に説明を求める「第三五回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね」文書を送る。 「お尋ね」文章の内容は、池田が僧侶を批判して四箇格言を否定し、親鸞を好意的に評価した外道(仏教以外)の歌である『歓喜の歌』を評価した、などとして批判する内容で、これに対し、学会側は「お尋ね」文書に対する「お伺い」文書を送付し、日蓮正宗側が自分たちを誹謗・中傷しているとして回答を拒否した。 これを受け、日蓮正宗は規約を改正し、1984年1月に再任されていた池田の法華講総講頭の役職を解くことにした。1991年、創価学会は『聖教新聞』紙上等において日蓮正宗へ反論を行う。同年11月、日蓮正宗は、「創価学会」と「創価学会インタナショナル」(SGI)を破門した。 一方で、田原総一郎は、この対立の背景として、日蓮正宗の法主である日顕が先祖の墓を他宗の禅寺に建立していたことが判明したり、異性やカネにまつわる僧侶の醜聞が伝えられたりするなど、多くの学会員が宗門に対して不満を持つようになったのではないか、と言及している。 創価学会と宗門の決別について、佐藤優氏は、世界広宣流布の観点から、創価学会がこれ以上、「宗門のくびきの下に置かれることは非現実的」とし、 聖ウルスラ学院の梶田叡一理事長は、日蓮正宗による破門の内実は、「権威的で形骸化した宗門によってそれまで散々蔑まれてきた学会員の魂が、ようやく解放された」としている。
※この「日蓮正宗との対立・決別」の解説は、「創価学会」の解説の一部です。
「日蓮正宗との対立・決別」を含む「創価学会」の記事については、「創価学会」の概要を参照ください。
- 日蓮正宗との対立・決別のページへのリンク