悲 (仏教)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/28 16:28 UTC 版)
仏教用語 悲, カルナー | |
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パーリ語 | karuṇā |
サンスクリット語 | karuṇā (करुणा) |
チベット語 | སྙིངརྗེ |
ベンガル語 |
করুণা (kôruna) |
ビルマ語 |
ကရုဏာ (IPA: [ɡəjṵnà]) |
中国語 |
悲 (拼音: cíbēi) |
日本語 |
悲 (ローマ字: hi) |
朝鮮語 | 자비 |
英語 | Compassion |
クメール語 |
ករុណា (Karuna) |
タミル語 |
கருணை (Karuṇai) |
タイ語 | กรุณา |
ベトナム語 | bi |
悲(ひ、巴: 梵: karuṇā [カルナー], 蔵: snying rje [ニンジェ], 英: compassion)とは、仏教の概念で人々(生きとし生けるもの)に苦しみをともにする同感(同情・共感)の心を持つこと[1]。また、それらの苦痛を取り除いてあげたいという心を持つこと[2][3]。「抜苦与楽」の「抜苦」に相当する[4][出典無効]。
四無量心(四梵住)としてまとめられる4つの徳目「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)の2つ目。
慈愛の瞑想
上座部仏教(テーラワーダ仏教)圏では、ウィパッサナー瞑想の基礎として、慈愛の瞑想(mettā bhāvanā)と呼ばれる瞑想が行われる[5]。慈悲の瞑想とも翻訳されるように、そこには生きとし生けるものの苦しみが無くなることを願うという「悲」(karuṇā)の要素も混じっている[6]。
脚注
- ^ 「四無量心」 - ブリタニカ国際大百科事典、Britannica Japan
- ^ 「慈悲」 - 世界大百科事典 第2版、株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
- ^ 「慈悲」 - 大辞林 第三版、三省堂
- ^ 四無量心とは, 慈悲とは - 大辞林, 慈悲とは - 世界大百科事典
- ^ ウ・ジョーティカ 『自由への旅』 魚川祐司訳、新潮社、2016年12月、pp.121-124。
- ^ 慈悲の冥想 - 日本テーラワーダ仏教協会
関連項目
「悲 (仏教)」の例文・使い方・用例・文例
- 母さんも老けたなあと悲しく思った
- すでにして悲惨な状況
- 悲痛な叫び
- 彼の悲しみは私にははっきりしていた
- 彼女の悲しげな表情は本心と裏腹だった
- その悲しい知らせを聞いて彼は胸を痛めた
- 私たちに悲しい話をしているうちに彼女の声はとぎれとぎれになった
- 戦争は恐怖と悲しみをもたらす
- その悲しい知らせを聞いて彼女の目に涙があふれた
- 今日の新聞はすべて一面にその悲しい記事を載せている
- その悲劇の結末を見る勇気がなかった
- 悲嘆の涙を流す
- 他人の喜びや悲しみを感じられないなら人生に価値はない
- 極度に悲惨な状態
- その悲惨さは想像を絶するものだった
- 悲惨な結末
- 彼女は犬が死んで悲しみに沈んでいる
- 笑って悲しみを隠す
- その知らせを聞いて私たちはとても悲しんだ
- 悲観
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