六巻抄
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六巻抄(もしくは六巻鈔[1]、ろっかんじょう[2]・ろっかんしょう)とは、享保10年(1725年)、日蓮正宗第26世日寛による著述で、
注釈
- ^ 再び調べ正すこと[9]。
- ^ 堀日亨はこれを「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈めたまえり、龍樹天親は知って而も未だ弘めたまわず、但我が天台智者のみ此れを懐けり」と書き下している[13]。
- ^ 仏像を作ってそれを本尊とするという主張。
- ^ 法華経一部を読誦する、すなわち、法華経全てを読み誦えるという主張(ここでの「一部」とは、「一部分」ではなく、ひとまとまり(一冊)の意)。
- ^ 題目を唱えること。
- ^ 但し、(東京大学法華経研究会 1962, p. 123)には、「末法相応の修行は、ただ題目にあることを明かされている」とあり、行為(唱えること)には触れていない。実際、例えば(日寛 1967, p. 167)には、「正意・但題目に在り」とだけある。
- ^ ここでは、釈迦如来(人)とその教え(法)では教えの方が優れている、とするもの。
- ^ 仏となるための主たる修行[31]。
- ^ 但し、(日寛 1967, p. 193)には、「正行とは、〔略〕南無妙法蓮華経是なり」とあり、行為(唱えること)には触れていない。
- ^ 信心を助ける修行[31]。
- ^ (経文を)読み誦えること。
- ^ 内容・意義のこと。
- ^ 誤りを指摘すること。
- ^ 迹門の所詮[注釈 12]を破折[注釈 13]すること[34]。
- ^ 内容・意味を表す言語・文字・言葉のこと。
- ^ 迹門の能詮[注釈 15]の文を借りて本門の意味をあらわにすること[34]、もしくは方便品の文を借りて本義をあらわにすること[35]。
- ^ (日寛 1967, p. 220)には、「寿量品は文の上は乃(すなわ)ち是れ脱迹の義を詮し、文底も亦是れ種本の義を沈む、故に二意倶に文が家の所得なり。〔略〕故に直ちに所用と云うなり。」とある。
- ^ a b (日寛 1967, p. 226)には「〔僧宝は〕開山上人なり」とある。その一方で、(日寛 1967, p. 252)には「〔僧宝は〕日興〔略〕日目〔略〕嫡々付法歴代の諸師」とある。
- ^ 仏の教えを受ける能力に乏しい者。
- ^ 悟りを開かせること。
出典
- ^ a b c d e 日寛 1922, p. 1a-但し、本書にはページ数が複数存する。出典部分は4つ目のP.1。外部リンクでは、コマ番号6。
- ^ a b c 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 433.
- ^ a b c d 日寛 1922, p. 2-但し、本書にはページ数が複数存する。出典部分は4つ目のP.2。外部リンクでは、コマ番号7。
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 252a-但し、別途出典のある記述を除く。
- ^ a b 日寛 1922, p. 1b-但し、本書にはページ数が複数存する。出典部分は5つ目のP.1。外部リンクでは、コマ番号7。
- ^ a b c d e 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 253b.
- ^ 東京大学法華経研究会 1962, p. 122.
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 253a-但し、読点はなく、一部のかなは漢字。また、「集来すといへども」は「襲来すといへども」とあり、「驚怖するに足らず」までのみ。
- ^ a b c d e f g 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 252b.
- ^ 日寛 1967, p. 4.
- ^ 日蓮 1976, p. 539.
- ^ 日蓮 1994, p. 525-但し、送り仮名等は一部異なる。
- ^ 日寛 1967, p. 6.
- ^ 日寛 1922, p. 3-但し、3分割の一々についてのみ。外部リンクでは、コマ番号8。
- ^ 日寛 1967, pp. 6-7-但し、3分割の一々については除く。
- ^ 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 253c-但し、本文後半部分のみ。
- ^ 日寛 1967, p. 92.
- ^ 日寛 1967, p. 81.
- ^ 日寛 1967, p. 86.
- ^ 日寛 1967, p. 98.
- ^ 日寛 1967, p. 107.
- ^ a b c d e f g h i j k 宗旨建立750年慶祝記念出版委員会 2002, p. 254.
- ^ 日寛 1967, p. 116.
- ^ 日寛 1922, pp. 1-2-但し、本書にはページ数が複数存する。出典部分は4つ目のPP.1-2。外部リンクでは、コマ番号6及び7。
- ^ a b c d e 東京大学法華経研究会 1962, p. 123.
- ^ 日寛 1967, p. 152.
- ^ 日寛 1967, pp. 152-153.
- ^ 日寛 1967, p. 168.
- ^ a b 日寛 1967, p. 173.
- ^ 日寛 1967, pp. 168-169.
- ^ a b 日蓮宗事典刊行委員会 1981, p. 199.
- ^ 日寛 1967, p. 193.
- ^ a b 東京大学法華経研究会 1962, p. 124.
- ^ a b 日寛 1967, p. 195.
- ^ 日寛 1967, p. 220.
- ^ 日寛 1967, p. 194.
- ^ 日寛 1967, p. 201.
- ^ 日寛 1967, pp. 225-226.
- ^ 日寛 1967, pp. 228-229.
- ^ 日寛 1967, pp. 229-230.
- ^ 日寛 1967, p. 236.
- ^ 日寛 1967, pp. 237-238.
- ^ 日寛 1967, pp. 244-245.
- ^ 日寛 1967, pp. 248-249.
- ^ 日寛 1967, p. 251.
- ^ 日寛 1967, pp. 251-252.
- ^ SOKANet 「仏法入門」『三宝』
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