松野孝一とは? わかりやすく解説

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松野孝一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/04 06:33 UTC 版)

松野 孝一(まつの こういち、1905年3月25日[1][2] - 1967年7月29日[3])は、日本政治家台湾総督府及び農林官僚参議院議員(3期)。衆議院議員(1期)。

経歴

現在の大館市出身。菅原精一の二男に生まれ[2]能代港町(現能代市)の松野一也の養子となる[2]1927年高等文官試験行政科と司法科に合格[1]。翌1928年東京帝国大学法学部を卒業し[3]台湾総督府へ入庁。台北州海山郡守、台中州勧業課長[3]、総督府米穀、農務、特産各課長、食糧部長、逓信部長を歴任の後[3]、終戦で農林省へ転籍し開拓局第一部長、東京農地事務局長、仙台農地事務局長を務める[3]。この間、1947年には請われて宮城県本吉郡入谷村(現南三陸町)村長に就任した。

その後、公職追放弁護士となるも追放解除後の1952年の総選挙改進党公認で秋田1区から出馬、当選。翌1953年の総選挙で落選。1958年の総選挙鈴木一参院議員が衆院へ鞍替え出馬するのに伴い、その補欠選挙自由民主党公認で出馬し5年ぶりに国政に復帰。1959年1965年と再選を果たし、3期目途中の1967年7月29日、胃癌のため死去、62歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈(勲四等からの昇叙)、正五位から正四位に叙される[4]。参院時代は1961年から1年間参院法務委員長を務めると共に[3]第3次池田内閣では農林政務次官を歴任した[3]

脚注

  1. ^ a b 『日本人事録 第6版 全国篇』867頁。
  2. ^ a b c 『秋田人名大事典(第二版)』513頁。
  3. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』412頁。
  4. ^ 『官報』第12188号24-25頁 昭和42年8月1日号

参考文献

  • 『日本人事録 第6版 全国篇』中央探偵社、1963年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『秋田人名大事典(第二版)』秋田魁新報社、2000年。
議会
先代
松村秀逸
参議院法務委員長
1961年-1962年
次代
鳥畠徳次郎



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