公明党代表とは? わかりやすく解説

公明党代表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/09 15:23 UTC 版)

公明党
常任役員会代表
じょうにんやくいんかい
だいひょう
公明党ロゴタイプ
現職者
斉藤鉄夫(第5代)

就任日 2024年(令和6年)11月9日
種類党首
指名公明党代表選挙
任期2年(再選可)
根拠法令公明党規約
創設1964年(昭和39年)11月17日
初代原島宏治
略称公明党代表
ウェブサイト公明党

公明党常任役員会代表(こうめいとう じょうにんやくいんかいだいひょう)は、公明党党首である。略称公明党代表

かつての名称は公明党中央執行委員会委員長(こうめいとうちゅうおうしっこういいんかいいいんちょう)である。

概要

党首選出選挙については、「公明党規約第17条」で規定されており、他党に多く見られるような広く一般党員による投票ではなく、全国大会の代議員のみが選挙権を有し、全国大会で投開票が行われる方法がとられている。しかし、1964年昭和39年)の結党以来、複数名の候補者が立ったことはなく、無投票での党首選出が続いている。立候補には国会議員10人の推薦を必要とする[1]

日本の政治史では、おおまかに以下の3つの時代区分がある。

現在の自由民主党との連立政権(自公連立政権)に至る公明党は、中道政党としては、キャスティング・ボートを握ることがしばしばある。

1999年(平成11年)11月以降から実施されている党首討論には、首相を擁立しない連立与党だったため(あくまでも首相を兼務するのは自民党の党首たる総裁)参加していなかった。

2009年(平成21年)の第45回解散総選挙で民主党への政権交代により自民党ともに敗北し下野したため(麻生内閣総辞職及び鳩山由紀夫内閣成立)、2010年(平成22年)2月から2012年(平成24年)11月まで、自民党総裁の谷垣禎一安倍晋三とともに野党第2党の党首として、民主党政権下の3人の首相(鳩山由紀夫菅直人野田佳彦)を相手に党首討論に参加した。

2012年(平成24年)12月の自民党との政権復帰(第2次安倍内閣成立)以降、公明党代表は再び与党(第2党)党首となったため党首討論に参加していない。

2014年(平成26年)9月、党規約の改定により中央幹事会と常任役員会の体制や責任、職務権限が分割され、公明党代表は中央幹事会の最高責任者ではなく常任役員会の最高責任者として規定し直された。

現在の公明党代表は、斉藤鉄夫(第5代:2024年〈令和6年〉11月9日 - )。

公明党代表の一覧

公明党中央執行委員会委員長:
1964(昭和39)年 - 1994(平成6)年

委員長 在任期間
1 原島宏治 1964年(昭和39年)11月17日 -
1964年(昭和39年)12月9日
2 辻武寿 1964年(昭和39年)12月9日 -
1967年(昭和42年)2月13日
3 竹入義勝 1967年(昭和42年)2月13日 -
1986年(昭和61年)12月5日
4 矢野絢也 1986年(昭和61年)12月5日 -
1989年(平成元年)5月21日
5 石田幸四郎 1989年(平成元年)5月21日 -
1994年(平成6年)12月5日

公明新党代表:1994(平成6)年

代表 在任期間
1 石田幸四郎 1994年(平成6年)12月5日 -
1994年(平成6年)12月9日

公明中央幹事会代表:1994(平成6)年 - 1998(平成10)年

代表 在任期間
1 藤井富雄 1994年(平成6年)12月5日 -
1998年(平成10年)1月18日
2 浜四津敏子 1998年(平成10年)1月18日 -
1998年(平成10年)11月7日

新党平和中央幹事会代表:1998(平成10)年

代表 在任期間
1 神崎武法 1998年(平成10年)1月4日 -
1998年(平成10年)11月7日


黎明クラブ代表 :1998(平成10)年

代表 在任期間
1 白浜一良 1998年(平成10年)1月4日 -
1998年(平成10年)1月18日


公明党中央幹事会代表→公明党常任役員会代表 :
1998(平成10)年 - 現在

代表 在任期間
1 神崎武法 1998年(平成10年)11月7日 -
2006年(平成18年)9月30日
2 太田昭宏 2006年(平成18年)9月30日 -
2009年(平成21年)9月8日
3 山口那津男 2009年(平成21年)9月8日 -
2024年(令和6年)9月28日
4 石井啓一 2024年(令和6年)9月28日 -
2024年 (令和6年) 11月9日
5 斉藤鉄夫 2024年(令和6年)11月9日 -

脚注

  1. ^ “党代表選挙を公告”. 公明新聞 (公明党). (2022年8月26日). https://www.komei.or.jp/komeinews/p254253/ 2024年10月2日閲覧。 

関連項目


公明党代表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 00:26 UTC 版)

太田昭宏」の記事における「公明党代表」の解説

2003年第43回衆議院議員総選挙では比例単独から東京12区国替えし、初め小選挙区当選。この選挙では自由民主党保守新党推薦受けた保守新党選挙後自民党合流)。 2005年第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化法案採決反対票を投じた八代英太自民党公認得られ無所属出馬)らを破り、5選。 2006年神崎武法退任に伴う公明党代表選挙立候補し太田以外に立候補者がいなかったため無投票党代表選出された。

※この「公明党代表」の解説は、「太田昭宏」の解説の一部です。
「公明党代表」を含む「太田昭宏」の記事については、「太田昭宏」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「公明党代表」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「公明党代表」の関連用語

公明党代表のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



公明党代表のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの公明党代表 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの太田昭宏 (改訂履歴)、山口那津男 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS