第45回衆議院議員総選挙
第45回衆議院議員総選挙
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2009年の夏に行われた第45回衆議院議員総選挙では民主党は新人の田中美絵子を石川2区に擁立した。マスコミは注目区として取り上げ、苦戦を報じたが、森は苛立ちを見せた。報道による相乗効果を恐れたからである。そのような中で8月2日には2010年の閉鎖が決まったコマツ小松工場の一般公開で企画されたトークショーに出演した。8月8日には、朝日新聞記者をめがけてペットボトルのお茶をぶちまけた。当時自民党は民主党への批判を前面に立てた内容の宣伝を行っていたが、森陣営も選挙ビラで「非正規社員 や労働組合の事務員、キャバクラ嬢 に至るまで、あまりにも国政をまかすには如何かと思われる」と民主党の候補者を非難した。 ただし、森は「マスメディア」の全ての活動に否定的な訳ではない。選挙を控えた時期、『WILL』2009年8月号では「確かに新聞は昔ほどひどくはなくなりました」と述べ、批判の矛先は取材もなしに記事を書くスポーツ紙や大騒ぎするテレビ番組であった。ITメディアについては、2008年末よりニコニコ動画に森喜朗チャンネルを開設して政策のアピールに利用しており、2009年8月11日には“生”帯番組「とりあえず生中(仮)」に出演し、角谷浩一とのトークを行なった(角谷は民主党よりであることを度々公言し、本番組でも自民党と距離を置いてきた旨断りも入れている)。その中で上述のように「ぶら下がり」も受け付けている。同番組で、森はマスコミへの苦言の他、ドワンゴがニコニコ動画上で行なった調査や自民党で行なった世論調査を比較するなど、冷静なコメントを残している。また当時、民主党はマニフェストなどで二酸化炭素排出量の大幅な削減策を掲げていたが、森はこれに関連して2004年まで京都議定書の批准を見送っていたロシアに訪ロした際の打ち明け話も披露した。当時森は読売新聞のロシア関連記事をプーチンに手渡し、エネルギー供給大国としての国際的な責任や信用の重要性を説いたと言う(その後、ロシアは批准し、議定書も発効した)。なお、地元マスコミである『北陸中日新聞』が出した当落予想についても批判している。 以前より森は組織固めを重視した選挙を続けてきたが、「(後援会の人間が)5人集まると森さんが来る」 といわれたほどのドブ板選挙の結果、森は約4000票差で勝利し小選挙区の議席を維持したが、投票日は地元(『北國新聞』と『北陸中日新聞』)以外のマスコミを選挙事務所から閉め出し、締め出された朝日や新潮の記者は批判した。『中日新聞』は、繊維族としても知られる森の再選を業界団体が支持したことを報じている。なお、産経新聞は当選に沸く森陣営の撮影を許可された。 なお、森は繊維分野でも地道な活動を続けており、2000年には「着物産地の振興へ、開会日は和服を着よう」と言う超党派の『和装振興議員連盟』を発展させ、国会への着物姿での登院を実施、その会長に就任している。これは教育分野にも関連があり、『きものコンサルタント協会』が20年間請願していた和装教育の中学教育取り入れにも森は協力し、2002年4月に実現している。2009年の第171回国会開会日にも袴姿で登院していた。2009年7月には東レ石川工場の炭素繊維プリプレグ新工場のスタート式にも出席している。当選後も見本市を視察し「石川の繊維産業は堅実に新しい素材を次々に開発している」とコメントしている。 選挙後の総括としては2010年10月、産経新聞に「小選挙区制は政党と政党、マニフェスト とマニフェストの戦いだ」と喧伝(けんでん)され、人物を隠されてしまった。だから民主党でとんでもない候補者がいっぱい当選してきたでしょ。国民を愚弄(ぐろう)しているよ。でもまあ、小泉純一郎元首相が平成17年の郵政選挙で使った手法でもある」と述べた。
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第45回衆議院議員総選挙(2009年)
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「新党日本」の記事における「第45回衆議院議員総選挙(2009年)」の解説
2008年8月、副代表・有田が第45回衆議院議員総選挙に東京9区から立候補することを明らかにしたが、同年9月、民主党からの選挙協力の申し入れを受け、「国民中心、生活中心の日本を作る」という大義のため、民主党の推薦を受け立候補する選挙区を東京11区に変更することを発表した。 衆議院が解散された2009年7月21日、代表・田中が兵庫8区より立候補することが決定した。有田と同様、民主党の推薦を受けた。有田が比例東京ブロックで、田中が比例近畿ブロックで重複立候補するほか、北関東、南関東、北陸信越及び東海の各ブロックで比例単独1位を、東京及び近畿で比例単独2位を各1名の計6名擁立した。 田中が衆院選に立候補したため公示日の8月18日付で参院議員(自動)失職となり、第21回参議院議員通常選挙の比例区で次点の有田が繰り上げ当選の対象者となったが、有田は繰り上げ当選を辞退し、東京11区での選挙活動を継続した。8月30日に再び中央選挙管理会が開かれ、最終的に次々点の平山誠が繰り上げ当選する。開票の結果、田中が小選挙区で公明党の冬柴鐵三らを破り当選したが有田及び比例区単独での立候補者は落選。比例代表における得票率は0.7%と前回総選挙を下回った。 なおこの選挙で国民新党も当時代表だった綿貫民輔が当選を果たせず、代わって亀井静香が代表に就任した。新党日本と国民新党は同じ比例ブロックに候補者を擁立するなど選挙協力が十分に行われていなかったが、亀井の代表就任で距離を縮めることとなった。
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第45回衆議院議員総選挙
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「中川昭一」の記事における「第45回衆議院議員総選挙」の解説
2009年(平成21年)8月の選挙に際し、北海道帯広市で行われた中川の総決起大会に招かれた政治評論家・三宅久之は、激励の演説中に中川に対して禁酒宣言する様に一喝した。さらに、郁子夫人に対しては自宅にあるアルコール類を全て捨てるように進言したため、中川は直後の登壇際、支援者に対して禁酒宣言をすることとなった。この一件について、三宅は中川の死後、自分の言動が中川にストレスを与えた可能性を悔い述べた。
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