古賀誠
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古賀 誠(こが まこと、1940年〈昭和15年〉8月5日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(10期)、運輸大臣(第72代)、新東京国際空港担当大臣、総合交通対策担当大臣、自民党国会対策委員長、自民党幹事長、自民党選挙対策委員長、宏池会会長、日本遺族会会長を歴任した。
- ^ 第2次橋本内閣では小泉は厚生大臣として、古賀は運輸大臣でそれぞれ入閣しており関係は悪くなかった。
- ^ この理由として本人は「野党と同じこと(反対票を投じること)はできない」と述べている
- ^ これまで選挙対策総局長という名称であったが、総裁直属の役職へ格上げし名称を変更し、党三役とほぼ同格の地位となった。
- ^ 『産経新聞』2007年9月24日
- ^ “自民・古賀誠氏が10選、元秘書破る”. 読売新聞. (2009年8月31日) 2011年3月6日閲覧。
- ^ “古賀誠氏後継、秘書で調整”. 読売新聞 (2012年11月16日). 2012年11月16日閲覧。
- ^ “岸田派が古賀氏を名簿から削除へ 岸田氏「自立」アピール”. 産経新聞. (2020年12月10日) 2022年12月7日閲覧。
- ^ “自民党 古賀氏、名誉会長退く意向 岸田派、分裂の懸念” (jp). Mainichi Daily News. (2020年10月6日) 2020年10月25日閲覧。
- ^ “自民・古賀氏が岸田派名誉会長辞任の意向 講演で表明”. 日本経済新聞. (2020年10月28日) 2022年12月7日閲覧。
- ^ “靖国問題:「遺族会でA級戦犯分祀の勉強会」…古賀会長”. 毎日新聞. (2007年10月6日)
- ^ http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d130724_0
- ^ 『毎日新聞』2007年7月5日 東京朝刊
- ^ “古賀氏、日中友好を強調 南京虐殺記念館を訪問”. 共同通信社. 47NEWS. (2006年7月17日) 2013年5月26日閲覧。
- ^ “自民・古賀選対委員長「道路族に誇り」”. 日本経済新聞. (2008年1月27日)
- ^ “自民・古賀氏 「道路族と呼ばれるいわれはない!」”. 産経新聞. (2008年7月3日). オリジナルの2008年7月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008051102010355.html
- ^ 福岡での出来事――無駄な公共事業の典型「誠橋」を視察岡田かつや公式ブログ2008年10月20日
- ^ 時事ドットコム「憲法9条は世界遺産」=自民・古賀氏、改正反対の著書出版
- ^ しんぶん赤旗、「96条改憲に大反対 元自民党幹事長 古賀誠さん」、2013年6月2日
- ^ 野田聖子、「民法の一部を改正する議員立法案~例外的夫婦別姓制度」2002年7月24日
- ^ 「喫煙天国」の自民党 部会で吸い放題 分煙論議への機運乏しく(ウェイバックマシン、2008年8月19日) - http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200808190066a.nwc [リンク切れ]
- ^ “「吸うなら出て行け」自民・河野氏、政権構想会議で司会”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2009年12月3日) 2021年9月29日閲覧。
- ^ 日本大学商学部校友会 役員名簿
- ^ “九段会館の天井崩落事故 遺族ら業務上過失致傷で告訴”. 産経新聞. (2011年5月12日) 2011年5月13日閲覧。
- ^ “元会長らの立件見送り 九段会館の天井崩落事故”. 日本経済新聞. (2013年11月8日) 2024年2月26日閲覧。
古賀誠(政治家、衆議院議員、自民党選対委員長、元自民党幹事長、宏池会会長)
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「小林よしのりの関連人物」の記事における「古賀誠(政治家、衆議院議員、自民党選対委員長、元自民党幹事長、宏池会会長)」の解説
『わしズム』Vol.5で対談を行なったのを皮切りに、シンポジウムや講演会などでたびたび席を共にしており、新自由主義経済政策に対する反対から「真の保守政治家」として小林は支持していた。しかし古賀は、言論弾圧やメディア規制に対する懸念から批判が根強い人権擁護法案推進派であったりと(2005年、2008年に通常国会提出断念)、歴史観や思想面で真正保守とはいいがたい点があるとされ、「真の保守政治家」と絶賛し支持する小林の姿勢を疑問視する声もある。その後、「SAPIO」誌上で、人権擁護法案への反対を表明し、業田良家の人権擁護法案反対のマンガを、『わしズム』Vol 15に掲載した事で、古賀と飛行機で会った際にはぎこちない会話になったとされる。その後、古賀が靖国神社に祀られているいわゆる“A級戦犯(昭和殉難者)”の分祀論(神社側は教義上不可能であると一貫して主張)を展開したことから、古賀との関係悪化は決定的なものとなる。
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古賀誠
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加藤の側近であり、また野中とも親しかった古賀誠は一転して加藤派の大半を反加藤でまとめた。これにより、論功行賞で野中より幹事長ポストを譲られることとなった。
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